多分、私がプロジェクトを通して、ある世界・・・簡単に言えば、人間の持つ本来的なPureな心による世界とでも言えばよいでしょうか・・・を築こうとしているのに対して、
昨今のFB(フェイスブック)やブログの世界、、、っていうのかなぁ、、、
FBを開くと目の前に飛び込んでくる結構多数派の世界ってのが、、、
そうじゃなくって、、、
いや、、、っていうか、、、本当はそうじゃないのかもしれないけど、、、
どこかで、何かを妥協して、世の中でうまく生きていくために、何かの戦闘服を身にまとってしまってる人たちによる世界に見えてしまって、、、
意識的な場合もあるだろうし、無意識にそう振舞うようになってる人もあるだろうし、、、
そうすると、正直、開くのが無意識に「嫌」って思うようになるんだよね。
むしろ、そういうのが嫌になって、もう投稿しなくなってる人や退会してしまった人の中に、その心の中にこそ、私が大事にしたい、大切にしたいっていう心が一杯あったりする気もする。
振り返ると、昔、会社勤めしていた頃も、要領いい人は出世し、そうでない人は、どこか何かでつまづいて、あまり出世もしない、、、
皆、社会に出て、最初のどこかで、何かを妥協してうまく生きるか、そうしないか、決断が否応なく迫られて、
最初は渋々かもしれないけど、合わせることにシフトしていく。
そして、そのことを自分に納得させる言葉を見つけてね。それは後輩にも使って再生産されていく。
Pureな心はいつもどの世界でも大概、置き去り。
(↑絵:なないろねいろ さん作「とびらのむこう」の一部分です)
私のプロジェクト(PureDreamProject)が、そういうことを要領よく進められないようなPureな心であり続けることをベースに進めてきたら、
節目節目で、予想外のことが生じて、発展してきたことを、振り返ると、
そして、また、偶然のように縁の生じたゴッホの生き様が、
不器用なほどに一途で真面目でPureな思いでの取り組みから、、、いつぞや、世界に影響を与える画家にまでなった、、、
そんなことも含めて考えると、
崩してはならない、大事なことが間違いなくあるんだと思う。
何かの戦闘服を身にまとってしまう人たちが(いや、それは私にも多分に生じしまっていたりすることなのだが)、それで、どんどんたくさん増えてしまうと、
その中身や奥がPureであったとしても、、、っていうか、実際はどの人もその奥底はPureだと思ってるけど、、、
そういう人たちで、皆が鎧や仮面や戦闘服を身につけながら、Pureなようで、Pureとは思えない世界を実際には作り出してしまうようにも思える。
そういう世界は、やっぱり、なんか居心地が悪い気がする。、、、
などとふと思った何気ない日常(笑)。