「新しいことは初めなかなか受け入れられない」 2009.7月
新しいことって、
なぜだか最初は多くから拒絶されやすい
それがどんなにいいものであっても
時代が進んで今じゃあ当たり前のように誰もが受け入れて関わっているものでも、
最初はなかなか受け入れらなかった時期がある
そんな中にあって苦労しながらその価値を伝え広めていった人がいる
時に、邪魔されることも出てくる
嫉妬し、批判し、潰しにさえかかる
一つの声が、二つになり、三つになり、
やがてようやく一つの固まりになる
その価値を知った者が、それを普及させる使命を持つ
今よりも、これによって、多くに満足がもたらされる
それを知って、広めずにはおれない
でも、それによって、古いものが淘汰される事態も出てくる
それが厄介だ
そして、必死で抵抗する
必死でその普及を食い止めようとする
食い止めようとする力もすぐに一つの固まりになる
そして固まりと固まりが衝突する
強いものが勝つのか
良いもの、正しいものが勝つのか
客観的に見たら、新しいものの方が当然いいに決まっているようなものであっても、それでも古くて、強いものが勝つことが往々にしてある
歴史を振り返ると、そんなことが繰り返されてきたように思う
いろんな偽情報も飛び交うから、当事者は判断を誤りかねない
過去を振り返って、愚かな選択を、と思いがちだが、
もし自分も当事者だったら、そんな偽情報も飛び交う中、判断を誤った可能性は十分にある
今だからこそ、そんな愚かな選択を、と言えるだけなのかもしれない
だから、強いから正しいとは言えないし、勝ったから正しいとも言えない
入ってきた情報で、ただちに善いも悪いも判断できない
判断する基準があるとしたならば、
それは、この心で判断するしかない
その心が、汚れをぬぐい去った心の状態であるのか、
自覚なく汚れをまとっている心の状態であるのか
その判断はそれぞれに任せられている
そして、その一つの判断が歴史の歩を進めたり、遅らせたりしているのだ