こんばんは。こんな遅い時間ですが、

やっと、ネットへの復帰ができてきた感じがします 笑

書こうと思う時に、ある程度、書けるようにはなってきました。

書こうと思う時や書こうと思うことは、ずっとたくさんあったのですが、

なんだか、、、書くまでに至らない、、、



 ただ、最近気が付いたのですが、



私がこのブログを始めてから今日に至るまでに、その途上で結構大きな変化があったために、


それは、当初は、ずっと「詩(もどき)」を載せていたのですが、


2011年後半からのコミュニティ展開開始とその経過から、


特に、2012年後半ぐらいから、ネットを超えたリアル展開が急速に進みだしてしまったがために、


そう、その頃から、時々、ブログの記録が自分の容量、キャパを超えてしまうことが増えて、追いつかなくなってしまったのでした。


元々、このブログでも、最初は、読者登録のボタンすら出してなくて、最初の読者になってくださった方から、「読者登録はできないんでしょうか?」と問われ、できるようにした経緯があり、


さらには、当初、アメブロでは、コメント欄も閉じていて、、、そしたら、「コメント欄を開けて欲しい」とある方から言われ、開けたのでした。


基本、できる限り、一人一人に丁寧に対応していきたいと思っていたのですが、


読者が増えたある時期から、一人一人の投稿をしっかり読んでコメントするというのが難しくなってしまいました。


あとは、スマホに変えてから入力がしにくくなり、スマホからはコメントなどしなくなったので、そういう対応・関わりが本意ではないのですが減ることとなりました。


今でも、基本、ブログでもFBでも、自分からあまり申請とかしないのは、対応に責任を持てないからというのがあります。


なんか自分が味わいたくないことを人に対してできる限りしたくないというのがあって、


選挙の時だけ、街を歩いて不特定多数の人たちと握手する立候補者のように、一瞬、突然やってきて、少しだけ心地いい握手を迫っては、もう二度と現れることはない、という人が意外とこの世界たくさんいらっしゃって、、、


とはいえ、自分も、対応する人が増えていく中で、それまでと同じ対応ができなくなってることから、私自身に対してそのように感じた方もきっとおられるのだろうと感じるところもあります。


 で、気が付いたことというのは、



このブログ読者とFBで繋がった方の層がかなり違うということです。


ブログは、先ほど書いたように、当初「詩」を軸に掲載していたので、それに共感・共鳴した方とつながっていったのでした。


2012、2013年頃から、FBでも少しずつ関わりが増えてきましたが、「詩」以外のイベント展開が増えてきて、そこから縁が生じた方とつながることが多くなったために、


従来の「詩」やプロジェクトの趣旨・コンセプトに十分に共感して、そこから繋がったという人の割合がFBにおいてはかなり少なくなってしまっているのです。


そして、そういう機会がまだまだ多くは持てていません。


ある種のジレンマはあります。



私は、同じような現象が複数起こる時は、そこに何か気付いていくべきことが込められていると捉えているのですが、


最近、2008年~2012年前半ぐらいに縁が生じた方との関わりにおいて、、、きっとそれは、それ以降の関わりがまだまだ私自身の伝えたいことが伝わらずに、関係が薄いものが多いからなのかもしれないのですが、、、


詩への共感から生じた古めの関わりの方の長きに渡る頑張りが実ったような出来事を目にすることがたまたま続いて、普段コメントをあまり入れない私ですが、そこに自然に応援のメッセージを送ってしまっている自分がいました。


最近の関係や、それぞれの人に何も罪もないし、誰も悪い人もいないのですが、、、(最近でも理解深い方もおられます。とてもありがたいです)


ここまでの流れがあまりに急展開に進んできたために、


その流れを見ながら、その場を進めるのに手一杯で、そして、つい自分を優先してはいけない、という思いが生じ、自分の主張を後回しにしてしまうために、逆にジレンマの原因を作っていたということがあるのかもしれません。



とはいえ、私の今、進めていることは、とても私の力ではできることではなかった、それ以上の力が働き進んできたもので、


ある種、自分としては、借り物、預かり物という感じがしているのです。



だから、誰かから、大切なものを一時的に預かってて、と言われたら、自分の持ち物以上に、不用意に扱えないし、大丈夫か気になるし、、、となるように、


それゆえに、その預かっていることごと、すなわち、詩も含めてのプロジェクト展開において、その大切なことが伝わらずに終わったり、進んだりするということは、


私にとっては、普通に自分の何かが伝わらないこと以上に、気になり、また、その役割を果たせないことへのやるせなさを時に強く感じかねないところもあるのです。


できれば早く、他のもっとふさわしい方にバトンタッチしたいと思ってもいるのです。


私は、地味に好きなことだけしたり、ひたったりしていたいというところなのです。



2007年秋に号泣する大きな出来事があって以降、自分の成功ということには、関心はなくなりました。なので、その与えられた役割をいかに果たすかということになりますが、、、ま、結局は自分自身の心の中の問題だけなのですがね笑、、、


こういうこと、こういう気持ちを理解していただける方がどれぐらいおられるかわかりませんが、


この2月にも、ほぼ同じタイミングで数人の方々を通して、私の役割的なことが目の前に見せられる出来事もありました。


それは以前からわかっていることではありましたが、


それゆえ、この流れを自分勝手に止めるわけにもいきません。



今年前半のサナギ期間に、大きく二つの次の大事なことがまとまる出来事がありました。


三月中旬と五月中旬です。


ともに、その前日には、とてつもない否定を受ける出来事などがあり、まとまった直後にも、それに対するOKサインのごとくのいつものシンクロ現象もあったのでした。


それらを準備していく流れとともに、、、ボトルネックのようにもなっている臨界点を超えてアップアップの状態の東京・湯島の片付け・整理・整備もなんとかペースアップさせつつ、、、


どこかで大きくつながっていくかのように、水面下で徐々に不思議にも準備が進みつつある、取手・黄色い家に関連する動きも含めて


どんどん推し進めていかねばならないと感じているところです。




いやはや、、、、、、楽しみですわ、、、、まだまだその役割に比べての器が足りないことゆえの大変さもあるけどね、、、