こんにちは。

昨日の記事に少し関連しますが、

ネットやメディアを使っての多くの人たちの反応が、目に見えてくると、

人はなぜだか、多くに右へならえしてしまう。



例えば、ランキングニュースとかあると、皆、それを見て、上位のものに注目して、その上位のものがどんどんある段階まで、急激に受け入れられていく。

音楽界のCDの売上とかもそうだったりするし、本の売上とか、映画とか、テレビ番組とか、

皆、そうだ。



それぞれが、多種多様なものを見比べた結果としてそうなっているなら何も問題はないが、

そうではない。



多くの目に触れられる前に、特定の「目」や「意識」「思惑」などによって、選択されてしまっていたりする。



それは、ある種の「同調圧力」にすらもなっていく。




時折、実家に帰ると、ある種のムラ社会というか、そういう「同調圧力」的なことを昔から凄く感じてきていたのだが、

そういう行き過ぎた ムラ社会・群れた社会 に反して、

「個」の時代がやってきて、

核家族化、個室、、、家電から個電、、、とにかく、関わりを分断し、個人で生きる方向、生きていける方向に社会が進んできていたが、

それでも、関わりは求めたいので、何らかつながりを求めようとしていく。



そうして、近年は、ネットのSNSを通じ、また多くが、スマホなどを常時持ち歩き、つながりを確認するかのように、自己の存在を確認するかのように、つながりを求め続ける。

「個」の時代に向かおうとしたが、やはり、人はつながりを求めていて、

新たなつながりを求め動く。



でも、そのつながりが、また、新たな同調圧力、新たなムラ社会を作ってしまう可能性も多分にあるのだ。




また、行き過ぎた個の時代、個への進化が、さらに新たな大きな問題をも生み出している。

例えば、高齢化社会に伴う介護などの問題や、

子育ての問題など、、、



家族や地域社会などの身近な人たちとの協力関係が、スムーズに得られるような環境下にあれば、これらはむしろ、人数分だけ、立場の違う分だけ、互いに欠けるところを補いながら、共存共栄の、非常にありがたい関わり合いを持つことができる。



つながり合うことの利点と、つながり合うことのマイナス点、

マイナス点をなくしていくことができたなら、それは、本当に大きな、新たなる社会の力になることだろう。



そのためには、

繋がるけれども、

群れない、縛らない、要求しない、などなど、

相手を生かす、伸ばす、そんな新たなるつながり方が大事になってくるだろう。




自身が、数年前から 発信してきた「星座な関係」は、まさにそれを言わんとしている。

それぞれがそれぞれの色で輝きながら、決して縛り合うことなく、その時その時で、素敵に美しくつながっていく。



「縛られた心」が、他の誰かの心をも「縛っていく」


そこから脱した心で、新たなる段階、新たなるステージでの新たなる理想的なつながりを・・・