ゴッホとの縁(私の一方的なですが(^_^;))が生じたのは、


2009年の11月頃だったかな・・・


もちろん名前だけなら、それ以前から知ってはいたけど、


ゴッホがどんな生涯を送ったとか、どんな作品があるとか、たいして知らなかったのでした。


その2009年の11月頃に、このブログ上で、


それまで2007年、2008年とかに、書いた詩の一節を色紙に筆で書いて(へたへたで(笑))、掲載しだしていたのです。


何十枚か書いた色紙がテーブルに積まれていて、それを見た時に、ふと、

「ここって、オフィスっていくより、アトリエみたいだな~」と思ったのでした。


すると、その直後に、急に ピーーーーーン と来て、


「そうだ! あのアパート、あのアパートで、アトリエとかギャラリーとか用意して、それで進めていくとよいのでは!?」


おおまかそんな感じのことが頭に浮かんだのですが、

ここで言っている【あのアパート】というのが、


ブログで詩やメッセージを書き始めた2006年の夏頃、やはりほぼ同じ時期に、偶然のように、そのアパートの管理をする流れが生じてきたので、していたわけですが、


その、常磐線の走る【取手】という場所が、隣接する市(守谷)に 2005年から【つくばエクスプレス】が開通し、人がそちらに流れるようになり、3人入って、5人出て行くような感じで、運営的に厳しい環境下にあったのでした。

なので、その2009年秋頃には、もうアパートの売却を提案しようと意を決していたばかりだったのでした。


そんな時に、そのアパートで【ギャラリーを設営し、アパート運営と街の活性化に相乗効果を生み出す】というアイデアが浮かび、


しかも、たまたまというか偶然というか、2002年にそのアパートをリフォームした際に、なぜか外壁が目立つ【黄色】になっていたので、当時は、目立ちすぎるので、借りるのをためらう人が多いという、マイナス材料になっていたのでした。



それが、そのピンとアイデアが浮かんだあとで、妻にそのアイデアを話したら、

「ゴッホの黄色い家って知ってる?」と言われ、


「えっ? 何それ? 知らないけど・・・」

という感じの私だったのですが、調べてみると、なんだかその生き様に共感できるところが多く、とても驚いたのと同時に、



その取手市が、【芸術の杜 創造プロジェクト】と銘打って、芸術の街として、街おこしを進めていることも、その頃初めて知ったのでした。


その一環で、【東京藝術大学】いわゆる【藝大】の一部の学部(美術学部)を誘致してもいたのでした。

しかも、そのアパートの前の道路が【芸大通り】で、駅から一つ目のバス停もすぐ近くにあったのでした。



そして、一部、反対されもしたのですが、不思議に導かれて、その方向に少しずつことが進んでいくのでした。