一つ前の記事で、「黄色い家」のこと、ゴッホとの関連など少し書きましたが、

そのギャラリー開設の準備を開始したのが、2010年でしたが、

約1年後、2011年3月11日、あの東日本大震災が起こりました。


その数日後、常磐線が動きだしてすぐに、茨城・取手の「黄色い家」にも足を運び、準備中のギャラリーの被害状況も確認したわけなのですが、


上の写真のように、掛けておいた額が、斜めにぶら下がった状態になっていて、

そこに、スチールの間仕切りが、倒れかかっていたのでした。


しかしながら、その【額】は、ギリギリの位置で、間仕切りにぶつからずに、割れることなく、守られていたのでした。


そして、それは何かを暗示しているかのようだったのでした。



その頃、震災直後、皆、どうしていたかと言えば、


決して、争って、物の奪い合いをしたりとか、火事場泥棒のような振る舞いは、ほとんど見られず、むしろ、皆で助け合っていこう、という、まさに、人の心の奥にある、良心、Pureな心が、いつも以上に目覚めていった、そんな感覚を覚えたのでした。


その【奇跡的に守られた額】は、『純粋』という詩の一節を書いたもので、

その『純粋』という詩は、人の心の奥に潜んでいる、Pureな心を描写したものだったのでした。


それは、この時代において、次の時代への何かを象徴、暗示するかのような出来事に映ったのでした。


これだけ、悲惨で不幸な出来事が起こってしまったけれど、その中にあって、不幸中の幸いというか、一縷の希望として、

争わずに、助け合っていこうという、人として大切な心は、この大惨事にあっても、失われずに、守られて、残された、、、いや、むしろ、このような出来事を通して、眠りかけていた、見失いかけていた、それらの存在に改めて強く気づかされた、、、そんな意味合いを強く感じさせられたのでした。


そして、このシーンは、その約一年後に、これも不思議に出来上がっていった一つのシナリオを映像化して開催されたイベントにおける冒頭のシーンに、すんなりと当てはまり使われていくことになったのでした。





この「黄色い家」においては、そういう 有り得ないような一見不思議な出来事や現象が数々生じて、ここまで推移してきました。


今回、そのいくつかを、1月18日、イベント当日においては、会場となる 305みらいすてーじ に移して、公開していく予定です。


どうぞ、それらのエネルギーを受け取ってください☆