熊本の地震があり、blogをupする気持ちになかなかなれませんでした。。。
(きーの水着のことでblogをかくとお約束した方、下書きはしていたんですが、なかなかupできなくてすみません。今日の夜にupしますね。)
遠くのことも、近くのことも、
楽しいことも、苦しいことも、
嬉しい事も、悲しいことも、
画面をとおして見る世界は、どこか他人事で、自分には起こらないことのように思ってしまう。
3.11でとてもこわいと思った地震。
あの時のわたしは独身だった。
気持ちはまだ親に守ってもらってて、守るものがいなかった。
熊本の地震の映像をみていて、
とてもとてもこわいと思った。
今回は自分の中で気持ちの変化があった。
わたしにはいま守りたい家族がいる。
自分の命よりも守りたい命、そしてその命のためにどうしても生きたいという強い気持ちがある。
続く余震。。。
壊れていく家や街。
わたしが住む名古屋は、昔から、東海大地震が必ずくる!と言われている。
今の所はありがたいことに何もなく、毎日を過ごせている。
人がいまある生活をあたりまえではない。と、本当に心から感じるのは、テレビでみている現実ではなくて、自分の身におこった瞬間だと思う。
大切な人がいなくなってしまう不安や恐怖、悲しさを知った瞬間。
その日から、その瞬間から、世界が変わってしまう。
色がなくなるような感覚。
災害ではないけれど、わたしはひとの命にかぎりがあると身をもって感じたことがある。
わたしはパパにガンだと言われた瞬間に世界が変わった。
生きて欲しい。
と強く願った。
それまでそんなことを強く願うことはなかった。
それでもまた人は、いま生きている幸せを忘れてしまう。
わたしの人生がどれだけあるかわからない。
大切な人の人生がどれだけあるかもわからない。
だからこそ、一生懸命生きたいし、
大切な人にわたしがあげられる愛情は全部あげたい。
どうか、これ以上被害がひろまりませんように。
1日もはやく、心休まる日々が訪れますように。。。
ここからは個人的な意見になるんですが。。。
こういったときに、送りたいものはたくさんあるし、送りたい気持ちもあるけど。。。
わたしは助けに行けるわけではないし、ものを自分で届けにはいけない。
届けるには誰かの力(個人でも配達会社でも。。。)にたよらなければならない。
なので、小さな小さなことですが募金というカタチをとらせていただいています。
そこにはいろんな気持ちがあるんだけど。。。
小さな力もお金もあつまれば大きなものになる。
お金は、決して冷たいものではないと思っている。
あつまったお金は、たくさんのひとの気持ちがこもったあったかいもので、お金はあって困ることはなく、こういったときに、あればあるだけやはり役にたつと思っている。
むしろ、もとどおりの街にもどし、もとどおりの生活をするためには、あってもあっても足りないくらいだと思う。。。
どうかいま現在をすごすため。
これから生きていくための復興に。
笑顔がもどる日がくることに。
やくだちますように。。。
*saya*