3日目 朝5:00千葉さんのお宅に泊まった人達は朝、千葉さんと一緒に近くの「日和山」に行って山頂から石巻市の被害の状況などを見て周ったそうです。

その時僕はもちろん夢の中にいました。

みんなの足音で3日目の朝を迎えました。今日は最終日もう宿泊場所には帰ってこないので、来た時よりも美しくなるように掃除をして出かけました。


7:00 絆着。今日のミーティングには38人全員参加します。

各グループ活動報告と今日の予定のすり合わせです。僕達のグループの報告はとんこがしてくれました。

ガレキがきれいになった事、みんなの頑張りの事、辻さんが本当に喜んでいた事を報告してくれました。僕の主観ですが、絆の方も始めは「大人数で来て、どうだろう?」というように感じましたが、3日目には仲間として認めてくれているような気がしました。


最終日3日目の僕らの活動は神社でのお祭りの手伝いと、細かなガレキの撤去を行うという事でした。

最後、スタッフの一人の方が南三陸について、おっしゃってくれた事が印象に残りました。

その方は3月11日震災が起こって12日の夜にはもう東北へ来て活動をされていたヒューマンシールド神戸という団体の方です。


「石巻はまだちょっと手を出せば、助けれる状況にあった。だけど南三陸の被害はひどすぎて、何も出来ない状況だった。ボランティアで何が出来るか問われた感じがした、それくらい被害がひどかった」

また「地元の方が最近のボランティアは、、、(意識が低い、マナーがなっていない、)と言われるのが悲しい」ともおっしゃっていました。


僕らは気持ちを改めて再確認します。そしてミーティングの最後に全員で気合を入れます。

絆の合言葉でスタッフの方が「元気はつらつ!?」と言えば僕らは「オロナミンC」と答えるそうです。


みんなの準備が出来たらスタッフの方がこう言います。スタッフ「ファイトー!!」僕ら「一発!」絆はこういう所です。みんな笑顔です。

9:30 南三陸上山八幡神社到着。

場所は昨日の帰りに見た赤い骨組みだけの建物のすぐ近くでした。実はその建物は有名な南三陸の「防災対策庁舎」でした。

メディアなどでは大きく取り上げられたそうですが、震災の日、この建物の中で女性職員の遠藤未希(みき)さん(25)危機管理課職員の方が、最後まで「逃げてください」と必死にアナウンスしていた所でした。自分の命を顧みず、アナウンスを続けた職員さん。ありがとうございます。


 今日はこの近くの神社のお祭りの準備と、細かなガレキやゴミを拾います。

宮司の工藤さんにお話しを聞きます。この神社は丁度斜面にあったおかげで津波からはぎりぎり逃れることが出来ましたが、下にあった自宅などは押し寄せるガレキで埋もれてしまったそうです。

何メートルもの高さになったそうです。今もご自宅はブルーシートがかぶせてありました。

この神社は延べ1000人以上のボランティアや重機が入って、今ではほとんど大きなものは取り除かれていました。

毎月何十人単位で大学生が入れ替わりで作業を行ってくれたそうです。

僕達はその最終仕上げの片付けと、今日行われるお祭りの準備をします。

今日の作業内容を教えていただき、さっそく班に分かれて作業を行います。

今日は作業内容もそんなにきついものではなく、草むしり、駐車場の細かなガレキの除去、お祭りの準備、池の掃除、子守りなどでした。

池の掃除が一番大変で希望者がいないだろうと思ったので一度「やりたい方いらっしゃいますか?」と聞いてみると多くの方が手を上げてくれました。みなさんとても意識が高いのが感じられました。


今日は僕ら以外にも多くボランティアさんがおり、大人数で取り掛かりました。

人数というのはやはりすごいものです。津波があった当初は「とても9月のお祭りは出来ないよね」と言っていたそうですが、なんとかお祭りを迎えることができ、きっと神社の方、地元の方はまた思いが強いんだろうなと思いました。


僕は宮司さんのお孫さんのゆうすけくん(4歳)の子守りをすることとなりました。なのであまり他の方の作業内容が分からないのですが、遊びながら一緒に仲良く準備をしました。

午後はお祭りで行う水風船釣りの準備の為、水風船に水を入れる作業を行いました。ゆうすけくんはものすごい笑顔で、僕にひたすら水をかけていました。どこまで行っても追いかけてきました。本当に楽しそうでした。


そうこうしている内に、階段がきれいになって、灯篭がおかれて、駐車場がきれいになって、大きな旗が立てられて、見る見るうちにお祭りが準備できていきました。

地面も細かな瓦礫が取り除かれきれいになっていきました。

祭りの準備もできてきました。

今日のお祭りは地元の人が主役だということで、ボランティアの人は参加せず帰ることとなりました。

とてもきれいにお祭りの準備が出来た神社は、朝とは違う表情で凛としていました。


最後帰り際に、宮司さんの息子さんからお礼を言って頂きました。

本当に深々とお辞儀をして御礼言っていただきました。


そうしているとゆうすけくんがお母さんに連れられて、白い衣装を着て出てきました。

さっきまであんなになついていたのに、急に照れていました。

ボランティアの人もみんな集まってきました。

そこでゆうすけくんが作ったという5行句を読ませていただきました。


「ばつ ばつ」 くどうゆうすけ(四歳)


つなみは  きらいです  って  かみさまに  いおうか

つなみはさぁ  ゆうちゃんみたいに  いちめーとるくらい  だったら  よかったのに

ゆうちゃんのいえなんてさ  もう  こうなって  こうなって  こうなったんだから

ぼく  きらいな  じしんだよ  ばつ  ばつ

いえにかえる  って  どこにかえるの?  あ  おばあちゃんのところかあ

ゆうちゃんとこは  アスナロのきが  びょーん て  たってるだけなの

いま  まいたたねが  こころのなかで  いま  さいた

4歳の子どもが、感じたもの。言葉にするとあまりにも軽くて、表現できません。

ゆうすけくんは読んでる時お母さんと僕と手を繋いで隠れていました。読み終わって、全員でお礼を言って帰ります。


15:30 今日は少し時間に余裕があったので、防災庁舎周辺を各班で自由行動することにしました。

丁度満潮の時間と重なっていたので、防災対策庁舎へ行くのも、大きな水溜りを避けるようにして、気をつけていかなくてはいけませんでした。

地震の影響で地盤も大きく下がっているので、排水溝からは水が吹き出て、川も逆流してる状態でした。

全員が防災対策庁舎で、南三陸の方、東北の方へご冥福をお祈りして、バスへ戻りました。


16:00 バスが出発する際ゆうすけくんとお母さんがお見送りに来てくれて、大きく手を振ってくれました。

こちらも窓を開けて、メガホンで「頑張ってねー」と言いました。

ゆうすけくんは「がんばるよー」と応えてくれました。ゆうすけくんはバスが見えなくなるまで、小さな体で大きく手を振ってくれていました。ずっと見えなくなるまで。

僕達は今日もなんともいえない気持ちで出発しました。胸いっぱいとしか表現できません。本当にいっぱいのものを感じました。もらいました。

最後バスの中で3日間の活動を終えて、みなさんがどう感じたかマイクを使ってそれぞれの思いを聞きました。何人か紹介します。


「俺は始め正義感とか、おれがやらなきゃとかそういう使命感で東北へ来てたけど、なんで来ているのか分かった。俺は東北、好きなんだなって。だから来るんだって思いました。だからこれから周りから何で東北いくのとか言われても、胸張って東北好きだからだよって応えようと思う」。


「以前防災対策庁舎に来たときに紙があってそこに、「まだ見つからないの、どこにいるのっ」って書いてあったんです。そして今日見たら「やっと見つかったね、もう仕事しなくていいからね。ゆっくり休んでね」と書いてありました。良かったなぁと思いました。そのことが印象に残りました。」

そのことが遠藤さんを指していることか分からないですが、遺体は4月23日に発見されたそうです。

そしてみんなの思いを聞きました。そしてみんなで、じゃあこれから東北の事を考える時に、大事にすることを3つ決めました。

一つ目の大事なことは「繋がること」。メディアを通してじゃなくて、実際現地に行ったり、連絡を取り合ったりして、「人」と「人」で繋がること。

二つ目の大事なことは「伝えること」自分が東北へ行って経験して良かった。だけじゃなくて、自分が感じたこと、思ったこと、これからやろうと思ったことを伝えること。きっといけなくても知りたい人はたくさんいる。

3つ目の大事なことは「続けること」この震災の復興には本当に長くかかると思います。忘れないで、考えることを、知ることを、行動を、続けること。この三つの「つ」を大事にしていくという事を決めました。

東北での3日間。現地に触れることができました。そして感じたのはやっとここからが「スタート」だなっていうことです。こうやって現地へ行き、触れ、話したことで、これから大事な事、必要なことを感じることができました。この感じたことをただの経験や、言葉遊びで終わらせることなく、実際に行動に移し、そして続けていくことが大事なんだと思いました。

――バスは豊橋に向けて進みます。――

朝6:30 あと少しで豊橋に着きます。みんな寝ぼけ眼です。

その時に、バスの運転手の2人のうち1人の方が「幹事さん、最後の挨拶は?」と言われたので、運転手さんに「何か話します?」と聞くとマイクを手にとってこう言っていただけました。
「みなさん、3泊5日本当にボランティアご苦労様でした。私達運転手もご同行し、みなさんを無事送り届けることができて嬉しく思います。最後神社から帰るとき、ゆうすけくんにむかって「がんばってねー」って言ったとき、「がんばるよー」って返してくれた事。それがみなさんが東北でボランティアした結果なんではないかなと思います。東北の方に代わってお礼申し上げます。本当にありがとうございました」心のこもった話口調にみんな自然と拍手しました。


7:00 豊橋着 バスの到着にあわせて東北応援団のみんなが迎えに来ていました。

無事に帰ってくるか心配だったみたいですが、僕らの生き生きとした表情を見てほっと肩をなでおろしたみたいです。

僕らも頼れるメンバーの顔を見て安心しました。みんな別れを惜しんで、その場で話していました。

その時、運転手の方の一人がこちらに寄って、話しかけてきました。「幹事さん。さっき話をした人なんですけど、あの人は、阪神淡路大震災の時に地震で奥さんと4歳の息子さんを亡くしたんです。だからさっき、みなさんに対してそういった言葉が出たんだと思います。ボランティアの人に助けてもらった経験があるので、そういう風に言ったんだと思います。たぶんあの人は自分では言いたがらないと思いますが」

最後に運転手さん含め全員で集合写真を撮り、そして解散しました。一人一人と別れるのが、なんだか寂しかったです。またいつか必ず会いましょう。


ボランティアというのは時にやっていて、自分でも意味があるのか分からなくなるときがあります。


本当に何かの為に、誰かの為になるんだろうか?自分の独りよがりではないだろうか?ただ目立ちたいだけではないだろうか? 時に批判されることもあります。

だけど、「辻さん」「工藤家の皆さん」「千葉さん」の笑顔を見ていると、本当に嬉しそうでした。何度も、何度も「ありがとう」と言ってくれました。実際にガレキがなくなるのも、きれいになるのも、きっと嬉しかったんだと思います。


でもおそらく一番うれしかったのは【愛知から38人もお手伝いに来てくれた】という事実から【私達は社会から見捨てられていない】という風に感じ【また生きていこう】という風に感じてくれたんだと思います。僕らはそこまで大きな意図を持っていませんでしたが、実はそれがボランティアの一番大事な意味ではないかと今回感じました。

そしてその思いが繋がって、豊鉄バスの運転手さんの言葉の様に、めぐりめぐって自分達に還ってくるんだろうと思いました。


最後に3月11日の事を忘れないように、ゆうすけくんのお母さんの詩を載せます。

「暗い森」 工藤 真夕

ひとり   買い物途中の  大地震  道にしゃがんで  子の名を叫ぶ

急いで帰って  子を抱いて  高台へ走る  何も持たない  子を抱いて

小雪降る  高台に逃げて  あっという間に  波が一気に 押し狂って来た

広報で  警報を  呼びかけていた  女性の声が  途切れる

茶色い波の手が  町を壊してゆく  家が  そのまま  流されてゆく

やめて  やめて  津波に叫びながら  逃げる

なぎ倒されて来る  電信柱をよけて  電線を  くぐって

逃げて  逃げて  もっと高いところ  もっともっと  高いところ

神社の裏山まで  逃げる  町の悲鳴が  足元に響いている  泣いているのに

雨降る中を  家族で逃げる  暗い森も  いのちを守る  灯の中と思う

辿り着いた  小学校の体育館の  片隅ですくむ  余震のたび  子を抱きしめる

わずかな毛布を  かけあって  眠る  砂だらけの足を  重ねて

津波が去って  夜が明ければ  無残  ひよどりが  慌てて飛んでゆく

町は 消えていた  あまりに非情で  声が出ない  涙も出ない

高台にあった  家は終着駅  知らない家が  突っ込んでいる  

窓が破れて カーテンが  しずかにゆれている  風も  泣いているa

波は  鳥居の下まで  そこから上は別世界  紅梅が咲いて  福寿草が咲いて

海は  無常に  春の海  かがやいている  嘘だといっているの?

子を亡くした人  旦那さんに会えない人  何も  言わない  空白の町

避難所で  迎えた  誕生日の夜  マスクをずらして  子がキスしてくれる

次は  いつ戻れるか判らないんです  神さまに  謝って謝って  町を離れる

装束と  笏と  宮司の印は  無事だった  頑張りなさいということ

子が  家族みんなの名を呼んで言う  よんでみただけ  呼んで応える人が いる

被災して  十日目の夜に  夫が泣いていた  じっと  静かに

もう  私だけの命ではない  空に還った  無数の夢を  叶えるように







ゆうすけくんのお母さん工藤真夕さんがブログでこうコメントがありましたので紹介しま

す。
「先日は本当に有難うございました。おかげさまで全国から延べ1000人のボランティアさんに境内や自宅周辺の瓦礫を片づけていただいて、9月14,15日の秋祭りは、まるで神代の祭りの起源そのもののような、祈り眩しいお祭りとなりました。
何より神さまがとてもまあるい気を放っているのが伝わってきて、安らいで居らっしゃるんだなあと実感しました。この感動を私たちは一生の支えといたします。いつかまた遊びに来てください。感謝をこめて申し上げます。」


そしてとてもびっくりしたことが最近ありました。


それ先週の月曜日(11月7日)の中日新聞に大きく、工藤さんとその息子のゆうすけくんの記事が載っていたのです。


内容は南三陸の山上八幡宮で今年も七五三の行事の依頼が来たというものでした。

その横に5歳になるゆうすけくんも写っており、なんだか久しぶりに見ることができて嬉しかったです。


また遊びたいなぁと思いました。


繋げていかなくっちゃね!