【女優・火田詮子さんは 母親の様な感じがする人でした】
19歳の時、〈劇団員募集〉というプガジャ(名古屋の情報誌)の広告を見て、芝居というものを一度も観た事もないのに、退屈な日常から脱出できそうな気がして、大須観音のすぐ近くにある 七ツ寺共同スタジオを訪ねました。

生まれて初めて観る、黒塗りの巨大な箱みたいな建物は、なんともいえない生まれて初めて嗅ぐ特殊な臭いがしました。
スタジオの真っ黒に塗られた壁と二階に続く階段の手すりを眺めながら、この階段を登ってしまったら異界に通じているのではないかと真剣に思い、しばらく動く事が出来ませんでした。
そして階段を怖々登り、ベニヤ板みたいな引き戸の向こうの部屋の中からテレビの音とにぎやかな笑い声が聞こえてきました。

少しだけホッとして中をのぞくと、小さなコタツの中に、十人位の人達が片足ずつ足を突っ込んでいました。
ものすごく素敵な笑顔で「どうぞどうぞ」と手招きされ、ものすごく歓迎されて部屋に入ると、その中の一人が「どうぞ」と言って、皆が少しずつ詰めてくれて、私の片足一歩くらい、コタツ「入るスペースを作ってくれました。

あの時、コタツ布団を上げてくれた時の、たくさんの人達のがブレンドされた強烈な足の臭い、三十数年たった今でも、鼻がしっかりと覚えてます。

この臭いコタツに足を突っ込んだら、もうシャバの世界に戻れなくなる様な気がしたけど、こんなに素敵な笑顔で歓迎された事はそれまでなかったので、それでもいいや!と思って、片足を突っ込んだら、ものすごくあったかかったです。

そこに、火田詮子さんと北村想さんもいました。

それから毎日、夕方になって仕事が終わるとスタジオへ行き、一人百円か二百円ずつ出して、隣の八百屋さんで食材を買って、おかずを作って、劇団員の人達と皆で一緒に夕飯を食べました。

両親がスーパーマーケットで朝早くから夜遅くまで働いていて、いつも一人でご飯を食べる事が多かったので、皆で一緒にご飯を食べるのが とても嬉しかったです。

まゆみさん(火田詮子さん)とは数歳しか歳が違いませんでしたが、まるでお母さんの様にあたたかく、そして時に厳しく叱ってくれました。
笑うと目がなくなるほど、優しい笑顔で、イヤな思い出が一つもなくて、本当に素敵な舞台役者さんで、、
またいつでもどこかでバッタリ会える気がしてなりません。

TPO☆師団は、三ヶ月間 稽古して本番(公演)をして、また翌日位から次の芝居の稽古をして、、という感じで、夢の様に楽しい日々でした。
舞台でスポットライトを浴びて、人に笑ってもらったり、拍手してもらったり、、本当に夢の様に楽しい毎日でした。

毎日365日、夜7時から10時まで芝居の稽古をして、それからすぐ近くのライブハウスELLへ、なぞなぞ商会というバンドの練習を観に行って、ライブで フランケンシュタインのなーちゃんの中の人をやったりしていました。

この記事をアップするにあたって、まゆみさんの良い写真をネットで検索して、ysht.orgさんのサイトからお借りしました。
ありがとうございます。
事後報告ですみません。
ysht.org 
http://theatre-shelf.org/diarypro/index.cgi?page=213 
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【訃報】本日5月13日1時13分、舞台女優の 火田詮子さん(本名 海上真由美さん)が亡くなりました。8日に くも膜下出血で倒れました。
お通夜15日、お葬式16日。
斎場は今池の平安会館です。