西方音楽館のブログ

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館長と副館長が西方音楽館の魅力をお伝えします

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西方音楽館友の会「木洩れ陽の窓から」第15号巻頭文と会報末尾に掲載している「こぼれ話」です。

 

         平和について

 

                       中新井紀子

 

                                   

 争いを止めさせること、平和を護ることは、難しいものなのだろう。爆弾の代わりに、花を撒けば良い!とかつて思ったことがある。夢のような戯言と、笑われてしまいそうだが、本当にそう思った。

人間の歴史を振り返ると、武力で平和を勝ち取ってきた史実を否定することが出来ない。武力に頼らず平和を実現したのは、ガンジーくらいだろうか?

 先日ミュシャ展で、スラヴ民族の歴史を一巡した時も同じであった。民族の統一も、キリスト教一宗派の容認も、戦いの末に獲得できたものである。それでも尚且つミュシャは、武力に寄らない一致、平和を、強く求めていた。

 通称「聖フランシスコの祈り」の中に、「私を平和の道具とならせてください。憎しみに愛を、(いくさ)に和解を、分裂に一致、疑いに信仰、誤りに真理、絶望に希望を、・・・・・もたらす器とならせてください。なぐさめられることよりなぐさめることを、理解されるより理解することを、愛されるよりも愛することを、求めさせてください。・・・・・」とある。

 最近知った小学1年生の「人」というタイトルの詩

   「えらい人より / やさしい人のほうがえらい / やさしい人より / 金のない人のほうがえらい / なぜかというと / 金のない人は / よくさみしいなかで / よくいきているからだ」

 戦争で儲かる人たちがいると言う。きっと、こんな小学生が書いた詩など、彼らには理解できないのであろう。

 芸術は、音楽は、平和にどのように貢献できるのであろうか。爆弾の代わりに音楽を撒けば良いのに!心底そう思ってしまう。

 

 

こぼれ話

 

儲かる故に得るものと、儲からない故に得るものを比較すると、

儲からない故に得るものの方が、案外尊いものだったりする。   

                                (中新井紀子)