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北海道から九州地方までの旧石器時代の遺跡の数は359ヵ所に上った





2人の翁⇄ダ・ヴィンチとミケランジェロ(イルミナティ&フリーメーソン)と鬼(アルザルを追放された2人の巫女?orフランスと日本のなまはげ?サンタクロースサタン?)

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こぶ取り爺さんWikipedia

あるところに、頬に大きな瘤(こぶ)のある隣どうしの二人の翁がいた。

片方は正直で温厚、もう片方は瘤をからかった子供を殴るなど乱暴で意地悪であった。

ある日の晩、
正直な翁が夜更けに鬼の宴会に出くわし、踊りを披露すると鬼は大変に感心して酒とご馳走をすすめ、
翌晩も来て踊るように命じ、
明日来れば返してやると翁の大きな瘤を「すぽん」と傷も残さず取ってしまった。

それを聞いた隣の意地悪な翁が、それなら自分の瘤も取ってもらおうと夜更けにその場所に出かけると、
同じように鬼が宴会している。隣の翁は出鱈目で下手な踊りを披露したので鬼は怒ってしまい、
「瘤は返す。もう来るな」と言って昨日の翁から取り上げた瘤を意地悪な翁のあいた頬にくっつけると
「今日の宴会はもうやめだ」と興ざめして去ってしまった。

それから正直な翁は瘤がなくなって清々したが、意地悪な翁は瘤が二つになり難儀した。

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こぶとりじいさんは、日本の民話(昔話)。世界にも類例がある。

鎌倉時代の説話物語集『宇治拾遺物語』にも「こぶ取り爺(鬼にこぶとらるゝ事)」として収載されており、
「ものうらやみはせまじきことなりとか」で結ばれている。
この出典から京都民話や関西民話と思われがちだが、実際には琉球を含めた日本各地(蝦夷の原民話は除く)に広く伝わっている。


バリエーション別の採用&出典先
太宰治が短編小説集『お伽草紙』の一篇「瘤取り」。
世界文化社『ふるさとの民話』
越後「日本昔話百選」
出羽。松谷みよ子アンソロジー
昔ばなし十二か月。
九州・琉球・台湾。
欧州。
遠野、和賀郡の民話。
日本郵便切手
「宇佐神宮(八幡宮)の分社らしき山奥の神社の鳥居」「団扇を持った鼻の高い天狗」
グリム童話や日本昔話

『宇治拾遺物語』第三話に見られるがその話をこの話の出発点とすることは危険である。
日本の1623年(元和元年)には成立していた『醒睡笑』巻1と巻6とに前半と後半とが分離した話としてのっており趣向を異にしている。

この話は世界的に広く分布し、
東洋では顔のこぶ、
西洋では背中のこぶとなっている。
踊りとともに歌詞の面白さ、巧みさ(「くるみわぱっぱ、ばあくるく、おさなげやあとの、おっかっか」「一ぼこ二ぼこ三ぼこ四ぼこ、俺も足して五ぼこ」「天狗、天狗、六天狗、俺も足して七天狗」「月火水、木曜日(金曜も足すとリズムが狂い西洋では小人に怒られる)」など)でこぶを取ってもらう話が多く、それによって富を得るのが古態となる話が多い。


この話のテーマは鬼による山中のお堂や祠の近くでの酒盛りと踊りであり、これは山伏のおこなう延年の舞(出峰蓮華会の延年)である。

また鬼の代わりに天狗が出てくる話もあり、山神、山霊の司霊者である山伏はしばし天狗と一体化される。
昔は顔などに大きな瘤や肉腫を持った老人が多く、貧民は手術でとることもできず、出峰した山伏は村人、信者を金剛杖で打ち病気を治すが、これも瘤を取る宗教的呪術にあたる。
瘤を取るとか厄を払うという呪術は入峰中に蓄積された験力の発揮であり瘤取り爺(鬼)のメインテーマは山伏の延年と呪験力である。

験競の験力は究極すれば活殺自在といえるが、こうした力があれば病気を治すことも瘤を取ることも自在であると信じられたはずである。
山から下った来訪神が不幸や災いを払って歩く様子を山伏が真似たものであり、験競の場には入峰で得たあらたかな験力で病気を治してもらおうとする人々が集まり、その中に瘤・肉腫をもった老人もいて山伏が印を結び呪文を唱えて気合をかければ跡形もなく取れた、と言うような話が『宇治拾遺物語』の説話へと変化していったのであろう。

木こりの爺が雨に会い山神の神木である大木の洞に入り、この木の前に鬼が出現するので山伏の延年がおこなわれる必然性が説明できる。
鬼は山神をあらわすがときに死霊的性格を持ち、このような洞穴から出入りする鬼は霊物のイメージがあり古代にはそれが墓であり古代の横穴洞窟葬を意味するからである。

また爺さんの前に現れる鬼も、山中の淋しいお堂や大木の洞に入りそこで寝た経緯が、民話「化物寺」の廃寺に泊まり化け物に会うというくだりに似ており、話中の化け物寺の話の筋や歌が瘤取りの話に入り瘤取り爺さんの歌へと変化したものである。
その鬼も「目一つ」や「口なき物」等100人あまりというのは「百鬼夜行」を表しそれを総じて鬼の一群と言い、また鬼である山神は眷属のお伴を連れ歩くと信じられており、その眷属は山神の子孫の霊物化であり、これが百鬼夜行の群行となり、話中の大将、親分の鬼は群れの中心の山神のことである。

古典にみる「こぶ」
宇治拾遺物語の「こぶ取り爺」では、翁が「たゞ目はなをばめすともこのこぶはゆるし給候はん」と言っている。
つまりは、「目や鼻ならば取ってもいいが、瘤だけは自分にとって大切なものであって、それだけは取らないでほしい」と懇願しているのである。
それに対し、鬼たちは「かうをしみ申物なり。たゞそれを取べし」と言う。「これほど惜しむものならば(よほど福をもらすものであろう)、それを取ってしまえ」という意味であり、他にも、怖ろしいと思われている鬼が愛嬌者であるなど、随所で発想の転換がみられ、ユーモラスな話となっている。

なお、太宰治の「瘤取り」では、酒好きで孤独なじいさんにとって「瘤」は可愛い孫のように愛しく孤独を慰める存在として描かれている。

医療的観点からみたこぶとりじいさん編集
こぶとりじいさんで描かれている「瘤」は耳下腺の多形性腺腫である。

これは良性腫瘍であるためここまで大きくなっても平気なのであり、もし腺癌などの悪性腫瘍であったならばここまで大きくなる前に他の臓器に転移してしまうと思われる。
また、隣の翁が鬼につけられた他人の瘤は、拒絶反応により日時が経過すればそのうち取れる可能性がある。

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鬼Wikipedia


鬼の語源
「おに」の語はおぬ(隠)が転じたもので、元来は姿の見えないもの、この世ならざるものであることを意味した。

そこから人の力を超えたものの意となり、後に、人に災いをもたらす伝説上のヒューマノイドのイメージが定着した。

さらに、陰陽思想浄土思想と習合し、地獄における閻魔大王配下の獄卒であるとされた。

古くは、「おに」と読む以前に「もの」と読んでいた。

平安時代末期には「おに」の読みにとって代わられた「もの」だが、奈良時代の『仏足石歌』では、
「四つの蛇(へみ)、五つのモノ、~」とあり、用例が見られ(仏足跡歌碑#与都乃閇美伊都々乃毛乃を参照)、
『源氏物語』帚木には、「モノにおそはるる心地して~」とある。
これらの「モノ」は怨恨を持った霊=怨霊であり、邪悪な意味で用いられる(単なる死霊ではなく、祟る霊。)。

なお、大野晋は独自の研究として、「モノ」はタミル語由来であるという仮説を唱えている。
タミル語における「鬼」も多くは女性がなるものと捉えられた。

大野晋は、これらのことから、中国の道教が伝わって広まる以前の弥生時代から南インドにおける鬼(モノ)を恐れる観念=御霊信仰が伝わり、由来となったと指摘している。




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