3日土曜日には「日本コーチング学会」の理事会が本学体育学科会議室にて、
4日日曜日には「日本水泳連盟科学委員会」(兼水泳・水中運動学会)の
運営ワーキンググループ会議が、飯田橋のフリースタイル事務所を借りて行われました.

私がこういった会の運営に携わるようになったのは、
2003年の日本体育学会で、「体育方法専門分科会」の企画事業のシンポジウムで、
コーディネーターと司会をやってくれと依頼を受け、
その流れで世話人(現・理事)として運営側に引っ張られたのが始まりです。
その後、何を評価されたかわかりませんが、理事改選の度になんだかいつも当選し(笑)、
そしたら、その姉妹学会である「日本スポーツ方法学会」も理事として選出され、
これも改選の度に繰り上がりも含めてなんだかいつもちゃんと当選しています(笑)。

「日本スポーツ方法学会」は、一昨年「日本コーチング学会」と名称変更をしました。
「スポーツ方法学」という名称が国際的に通じなくなってきていることなどが理由です。
(経緯詳細は、これまでの学会誌や学会ホームページに記してありますので
興味のある方は上記リンクより、是非ともご一読ください)
そして、私も一応末席であっても理事の一人としてその経緯を知っていて、
なお且つ任期の割にこれまであまり重責を負っていなかった(笑)ことから、
昨年度から「事務局長」を仰せつかって、今に至っております。

日本体育学会とかNSCAジャパンのような大きな学会の事務局は、
通常、専任で事務職員を雇って会を運営しています。
会員数が何千人規模になると、事務の仕事も尋常でない量をこなさなければならないからです。
特に大勢の会費も扱いますので、その分責任も重くなります。
しかし、我々の学会のように数百人規模の会では、
会費でもって事務員を雇うまでの体力はありませんので、
こうやって運営委員がボランティアで運営にあたらざるを得ないのです。
ただ、たかだか数百人の組織とはいえ、運営にはそれなりの負担がかかるため、
持ち回りで事務局運営ができるようにしなければなりません。
コーチング学会の前事務局は、筑波大にあり、
前事務局長の長谷川聖修先生がものすごく業務を簡易化してくださいました。
それを昨年度から本学が引き継ぎ、現理事の任期(3年)の間職務をこなします。
ですので、来年度が最終年となり、
再来年度からは新しい事務局へ移行します。
今日もこれから学会ホームページの担当社と打ち合わせがありますが、
事務運営を出来る限り軽減して、
ボランティアであたる事務局の負担を、できる限り減らすようにしています。
やはり事務局運営のせいで業務過多となり、
学会発表や実験が滞ったりするのは、学会人として本末転倒であるとの考えからです。
幸いにも、近年のIT技術の進歩は目覚ましく、
現事務局運営でも相当業務が簡易化されています。
次の事務局への移行は恐らく、
ノートパソコン、プリンタとハードディスク1個で引き継ぎができるまでに至ると思います。

コーチング学会の方は、スポーツコーチングを学問として捉え、
それらの研究を通じて現場のパフォーマンス向上やら、
スポーツ指導・教育の発展に寄与することが目的ですので、
現場も知り、研究も知る人が会の大半を占めていますが、
なぜだかこの組織、圧倒的に男性が多く女性が少ない(笑)。
しかし、近年は「男女共同参画」が叫ばれており、
どの組織も、運営サイドに女性を多く登用するよう指導されていますので、
我々としては女性会員の増加を今後の目標にせねばなりません。
是非、スポーツ界の女性コーチには、
本学会へご参加いただきたいと思います。
今入会すれば、数年のうちに理事になれます(笑)。
なんだか「ポイントがたまる」的な表現になってしまっていますが…。
是非、我々の仲間として頑張ってくださる女性陣に、入会していただきたいと思います。

水泳・水中運動学会の方は、
学会が発足して以来、これまで様々な活動を行い成果をあげてきましたが、
近年、大学院生や博士課程に在籍される若い研究者やコーチの会員が増えてきたことや、
学会発表数も増えてきたこと、
更に、学会大会におけるもようしものが増加してきたことなどもあり嬉しい悲鳴ではありますが、
ボチボチきちんと交通整理をしなければならない時期に来ています。
そうなると、組織の活性化のために運営規約などの改訂が必要となりまして、
ワーキンググループを中心に、今後の活動案などを煮詰めつつ、
それに従い適切に会則改訂などを行っていこうという段階に入っています。
もちろん、会則改訂は総会の議を経て行われるものですが、
原案づくりをしなければ四方八方から様々な意見が噴出してきますため、
これまでの経緯を知り、更に様々な学会動向を知る人が集まり、
研究や指導現場だけでなく、大所高所からも学会の果たすべき役割を探り、
会の運営に落とし込んでいこうということですね。

こういった「現場の疑問を学問として体系化し解決に結びつける」ような個別学会の多くは、
1980年代~90年代に設立されました。
日本にスポーツ科学の必要性が論議されるようになったのは、
1964年東京五輪への強化に入ったころの話だと思いますが、
1980年代までは「科学などいらない!」という現場の職人的なコーチたちによって、
科学的アイデアは「試す場」のないまま、進歩を示す場を探し求めていました。
そういった流れの中で、選手として育ち、
その過程で日本の水泳コーチングに疑問を感じ、
「世界に追い付け・追い越せ」で声を掛け合って集まったのが、
よく出てくる「半熟隊」であるわけです。

しかしそれ以降、急激に情報化の波が世界にやってきます。
インターネットの普及。海外の情報の流入に伴い、
海外のスポーツコーチングが積極的に科学、および「科学的な視点」による強化を行い、
次々と成功例を挙げてきたことを多くの日本人も知ることとなります。
そして日本体育学会に「体育方法専門分科会」が立ち上がり、
その会が研究誌を発刊する過程で専門学会としての立ち上げを余儀なくされ、
「日本スポーツ方法学会」が立ち上がり、
並行して各種目の専門学会もあちこちで立ち上がり、
水泳・水中運動学会も立ち上がりました。
その後、日本もようやく2000年以降にJISS(国立スポーツ科学センター)やNTC(ナショナル・トレーニング・センター)が出来、
「チーム北島」が一つの大きな成功例となり、国内に広まり、
今の流れに至っています。

その「チーム北島」の広まりには、
各種メディアで取り上げられたことももちろん大きな影響を与えていますが、
「日本体育学会、体育方法専門分科会主催シンポジウム」での平井伯昌コーチの講演や、
チーム北島のスタッフの面々のプレゼンテーションなどがあり、
熊本の学会会場に種目の枠を超えて沢山のスポーツ指導者が集まり、
学問として北島選手の成功を多くの先生方が学ばれたことも、
決して無関係ではありません。
私がそのシンポジウムのコーディネーターと司会として指名されたことは、
未だ理解不能ですが(笑)、
多分、「野口なら平井先生を学会の場に引き出せるのではないか?」という
学会運営側の意図があったのかな…とも思えます。
今思えば、当時の私自身には何も学術的な認識もなく、
とにかく振り返ると恥ずかしいくらい情けない仕切りでした(涙)。
それでも、獲得賞金500万下の未勝利の馬が、いきなりGⅠの舞台に立たされた割には、
騎手や調教師(この場合は当時の会長や、平井先生を始め多くのシンポジストの皆様)のおかげで、
掲示板に載るくらいのレースができた…そんな例えがピッタリかもしれません。

こうやってつらつらと書いていると、
例えば野球チームでも、創世期ー強化期ー安定期それぞれに、
別々のコーチングスタイルを持った指導者が必要なように、
学会組織も、次代によって運営形態も徐々に変わっていかねばならないな…と思います。
両学会の運営サイドのこういった変化は、
実は上に立つ先生たちの、
柔軟なものの考え方、世界を見渡せる視野、次代の流れの読み…
などによって、湧き起こっているように思えます。
スポーツチームにおいては、しばしばこういった視野のない上層部と、
様々な情報を取り入れて頑張っている現場との間にあるギャップに悩むケースをよく見ます。
読売巨人軍のもめごとなどは、まさにそういった視点で見ると、
問題の根源が読み取れてきますね。
上に立つ人間が、「こうすべきだ」という考えを強く持ちすぎると、
移り変わりやすい人間の心を読み違えて、あるいは読み損ねてしまうのかもしれません。
我々の世代はまだ「上に立つ」ほどの段階ではありませんが、
組織の現状を、なんのフィルタも通さずにきちんと理解すること。
そして常に様々な視点から、組織の運営を客観的に観察できる視を持ちたいと、
そんなことを考えている次第です。

それらの学会大会や活動内容についてご意見などがございましたら、
ブログのコメントや、直接事務局にメールしていただくなり、
フェイスブックなどでメッセージをお送りいただけたら幸いです。
遠慮なく、いつでも私の研究室のドアは開けてありますので(笑)。