2月

2月は特別な月
ちょうど10年前2005年2月末、私は診断を受け薬による治療を始めました
そのときの最初の処方で4~5錠はありました
「3年で治る」
その言葉を信じて
激しい副作用で休みが取れた2週間は寝たきりでした

薬に慣れると一時は良くなったものの段々でてくる副作用に薬を重ね、服用する薬は増えていきました
体調もどんどん悪化し仕事も辞めることになりました
仕事を辞めると転がり落ちるように悪化
そのころから1年くらいはほぼ寝たきりだったのでしょうか、記憶がありません
覚えていることといえば頭を上げることもできない、標本の昆虫になって虫ピンでとめられているような、そんな動くことができない無気力状態だったこと。
そのころかちょっと前かな?最初の主治医が急逝し転院しました

そこでもどんどん薬は増えていきました
異常な頻脈となり血圧の薬数種類を服用しても落ち着かず動けなくなることがしょっちゅうでした
眠れない、どんどん薬は強いものへ、数も増えていきました
かなり強い頓服も当たり前に処方されていました
その病院に6年~7年近く通いました
疑問は感じたものの、もはや違う病院へ移る気力すら残ってなかったのでした

いろいろあってまた病院が変わりました
そこでもさらに薬は増えていきました
どんどん増える薬の数に飲み忘れや飲むことへの意欲低下できちんと飲めなくなり最後には一包化してもらっていました
1ヶ月に1回の診察
医師はPCから視線をはずさず、数分の診察
出される薬は薬袋には入りきらない量
エコバックにいっぱいの量
このとき頓服を除くと毎日飲む個数は17錠になっていました
このころはもともとの症状の悪化、頻脈、立っていられない、背中足裏や内臓の激痛、健忘などがありました

そしてその病院に8ヶ月通い、いろいろあって転院しました
ここまでの3人の医師は同じ医大医局の出身
4人目で初めて違う医大医局出身の医師に出会いました
「なんでこんなことになっちゃってるの?この薬とこの薬は作用が反するから一緒には出さないもの、これとこれは同じだから…、これ出してる意味がわからない…こんな強い頓服なんでだせるんだろう?」
最初から9錠になりました
次の週7錠
次の週4錠
そして11ヶ月後の今2錠になりました

17錠飲んでも気持ちの落ち込み、不眠、動けない、全身の激痛、健忘、などなど…
なにも良くなりませんでした

今はたった2錠で眠れます
痛みもあまり感じません
健忘もありません
まだまだ気力はありませんが体は格段によくなりました

この10年
なんだったんだろう
失ったもの、時間、チャンス
10年わたしは何をしていたんだろう

私の転院は3回とも外的な要因によるものでした
医師・病院へ不審を感じながら次の医師・病院を探さなかった私がいけなかった
でもそんな気力なかった
でもそんなのいいわけでしかない
だれのせいでもない、自分の責任
病気になったのも、悪化させたのも。

でも、やっぱりあまりにも失ったものの大きさに潰されそうで
私の10年
やっぱり外に怒りをぶつけたくなる
ぶつける対象のない怒り
喪失感、絶望

医師は良くなってきたからこそ感じる感情だと
そうとしか言えないってわかってる
私だって逆の立場ならそうとしか言えない

でも、私の10年を返して
と思わずにはいられないのでした