なぜ、日本人は会社の言いなりの人が多いのか?
ずっと疑問に思っていましたが、腑に落ちる出来事がありました。
休日にネットで色々調べものをしていた際に、
板垣退助の記事にヒットし、面白そうだと思って、人物像や自由民権運動に進んでいった経緯などを調べていたところ、ある史実に辿り着きました。
板垣退助は、幕末の戊辰戦争の際に、激戦となった会津城攻城の指揮を取っていたんですね。
知らなかったです。
その際に地元の農民から「城攻めを手伝いましょうか?」言われて愕然としたことが、自由民権運動推進につなながっていったというエピソードが、紹介されていました。
え?何で地元民が領主を滅ぼす手伝いをするのか?と。
国の中がバラバラじゃ、とても欧米諸国に対抗なんて、夢のまた夢だと。
板垣退助は、そう思ったという。
江戸時代の統治というものは、完全に「お上」がやっているもので、庶民には政治なんて雲の上の存在であり、自分たちが「従う立場」にあることを、何の疑問も持っていなかったという。
だから、敵方の武将の「言いなり」になることを望んだのだ。
そもそも、日本の歴史上、「朝廷」というものは絶対で、逆らうことを考えた人すら、殆どいない。
鎌倉時代に武士の時代が到来しても、朝廷から武士は領地を与えられており、御家人と呼ばれていた。
その後、承久の乱で北条氏が後鳥羽上皇一派を島流しに処し、100年もの間執権政治が続いたが、朝廷が廃止されることは無かった。
そして、朝廷は大名を裏から巧みに操り、
利権を失うことは無かった。
信長は、公家に暗殺されたという説もある。
そんな日本において、自由民権運動は、日本の歴史上、初めて「庶民が政治に参加していいんだよ!」という、まさに画期的な運動であり、社会に大きなインパクトを与えました。
板垣退助は活動の最中、岐阜で暴漢に襲われ「板垣死すとも自由は死せず!」という名言を残したが、犯人は天皇国家の転覆を目論んでいると勘違いした、小学校教諭だった。
オイオイ、どんだけ、飼いならされてるんだ、と。
でもね、
一生懸命歴史を勉強してよかった。
仕方ないよ、
日本人には「お上」に逆らえないDNAがあるのね。
じゃあ、何で僕は、物心ついた頃からそういう発想が無かったんだろう?
やはり、ルーツは日本人じゃないのかな?と、思ってしまいました。
ちゃんちゃん。