大東亜戦争肯定論 林房雄

 

夏目書房版13ページ

私は自分にたずねる。明治大正生まれの私たちは「長い一つの戦争」の途中で生まれ、その戦争の中で生きてきたのではなかったのか。

私たちが「平和」と思ったのは、次の戦争のための「小休止」ではなかったか。徳川200年の平和が破られた時に、長い一つの戦争が始まり、それは昭和20年8月15日にやっと終止符を打たれた---のではなかったのか。

 

夏目書房版288ページ

火事を未然に防ぎえた者は賢者である。燃えはじめた火事を身を挺して消した者は勇者である。だが、その百年間の日本人には、その賢者も勇者も生まれ得なかった。なぜなら、「大東亜百年戦争」は外からつけられた大火であり、欧米諸国の周到な計画のもとに、多少の間隔をおきつつ、適当な機会を狙って、次から次へと放火された火災であった。日本人は火災予防の余裕を与えられず、不断に燃え上がる火災の中で、火炎そのものと戦わねばならなかった。

(中略)

私は放火と戦った勇者を非難しない。多くの日本人が焼死した。鎮火の後に生きながらえた勇者もほとんど全身に大火傷をうけた。