(シリア難民が暮らすヨルダン北部、ザアタリ難民キャンプ。夕方の風に砂が舞い上がり、空が黄色い。)
ヨルダンから帰って、2週間。
滞在中、シリア難民の方々との忘れられない出会いをあげればきっときりがない。
中でもアンマンの病院で治療を受けていた子どもたちのことは、思い出さない日はなかった。
その中に戦車の砲撃に巻き込まれ、頭に何カ所も手術跡が痛々しく残る5歳の少年がいた。
その彼が亡くなったとの知らせが入ってきた。
初めて出会ったとき、彼はベッドの上で微動だにせず、空の一点を見つめていた。
話しかけても反応はない。
再び病院を訪れたとき、最初に撮らせてもらった写真を持っていった。
シリアから着の身着のままに逃れて、手元にある思い出の品など殆どなかったと思う。
「今度はこの子が元気になって、歩けるようになったときの写真も撮りに来てね!」
とお母さんは嬉しそうだった。
このときもやっぱり彼はずっとベッドの上、震えが止まらず、そっと、手を握ることしかできなかった。
滞在中最後に会ったとき、彼は上半身を起こして、ぼんやりとこちらを見つめていた。
握った手を、弱々しくも握り返してくれた。震えながら微かに手を振ってくれた。
「覚えててくれたんだね!」と私が思わず声をあげると、お母さんが愛おしそうに彼を見つめた。
あの時の手の温かさを、忘れない。
そうか、あの子はもういないんだ。
写真の中でしか会えないんだ。
何で何でって、疑問しか浮かばなかった。
戦争って一度始まってしまえば、何年も何十年も、
争いとは全く関係のない人が傷つき続けなければいけない。
新聞を読み返しながら、もう一度愕然とした。
ああ、集団的自衛権の行使が認められたら、
彼らの故郷に爆弾が落ちていく後押しを日本もするかもしれない。
明日も、その先も、ちゃんと伝えるからね。
もうこんなこと止めたいって言い続けるからね。
それしかできないけど、やり続けるからね。
何も出来なくて、ごめんね。