1月27日

父がものすごく普通に夢に現る。家族で、父と拓馬が共演したステージのDVDをみていた。「死んでから見ると泣けてくるよなあ」みたいなことを父は話し、我々も、「ねー、ほんとにだよね」なんて話してた。不思議な、夢だった。


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父の楽曲と向き合わねばならぬ日々。いくつかのトラックは自分のパソコンに入っていなかったもので、開ける。


ちょっと、まだ、しんどい。音楽の美しさにのみ涙ぐむべきである。不純!


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そういえば何日か前に大人の麦茶の塩田泰造さんと電話した。昨年拓馬が出演した『蝶の筆』のことを『蝶の髭』って言い間違えてた。それはそれで興味深い。触角とはべつに、髭。


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思えば幼稚園のころから何かしらアート面に関しては天才扱いされてきたし、自分でも確固たる自信をもって生きてきた。せっかく才能があるのに、だらしないなどの理由でそれをちゃんと扱えない自分に怒りながら生きてきたのもある。


「流石は末原さんちのたくまくん」と呼ばれるのが好きだった。だから成長したようにおもう。「天才たくまくんのパパとママ」を世に知らしめたい今日この頃です


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1月28日


鳥インフルエンザ的なもののせいで殺処分になる動物たちの物語もかきたい。集団の中で1羽の感染が判明した時点で、全てが処分になる。処分される側も、する側も、感染したことが判明した本人も、描きたい。


ヴィジュアル公開。17時に公開です!!とかってないくらいにお膳立てしたけど、メディア様のあれこれで、うっかり12時に一回流出。なんか、それはそれで我々めいていて、なんか、笑った。


パダラマ・ジュグラマ初演の時、実はわたしは同じことをしてる。「○月○日の○時に公演タイトル発表です!」と煽りまくったのに、その前夜だかに「それにしても今回のパダラマ・ジュグラマは」みたいなうっかりツイートをしたんだ、たしか。


稽古は、いい。物語と改めて向き合う。僕は作家なのに、まだまだ新しいことを、知る。

演出しながら、みんなの相手役をやる。まだ、何もかもを手放してしまえないタイミングで、相手には少し、申し訳ない。


まだ立ち位置を決めたりしている段階なのに。塩崎が素晴らしい芝居をした。それに、富田が呼応した。めぐみも爆発した。稽古場が、儀式めいた凄みをもった。そんなことがあった。


こんなシーンはないけど

八神蓮の凄さを掘り起こしたい、バカと天才の紙一重なところにいる俳優。後者であるとおもう。


じゅんいちさんとものすごく話してる。楽しい。

ジュンバを共につもめるさひがしとは、まだ違うタイプ。否応なしに、物語の解釈を深める作業になる。その時間の、すばらしき豊かさよ。



おやすみなさい。
あなたの幸せ、願ってます
じょうずに願えないこともあるのだけれど、でも、願ってます

おやすみなさい
1月30日よ輝きますように