2月20日、

おぼんろ第20回本公演

『パダラマ・ジュグラマ』が無事に千穐楽を迎えることができました。

 

毎度のことなれど、公演後の言葉は全然得意でなくて、今までも、大切な公演の後にブログもツイッターも更新できなくなることなんてのはザラにあった。

 

終わった途端に、自分の人格がよくわからなくなるというのもあるし、それこそ、「言葉にならない」からだとも思う。言葉にしようにも、無限すぎるし、極彩色の想いを言葉の中に閉じ込めてしまうのも、なんか、嫌なのだと思う。

 

 

 

でも、とにかく、みんなにありがとうをどうしても伝えたい思いで、取り敢えずにはなるけれども、言葉を綴ります。

 

ありがとう。

 

なんて、そんな言葉では伝えられないくらいのありがとうを抱いているってこと、どうか知って欲しいです。僕は、今回の語り部たち全員に、スタッフたち全員に、参加者全員に、心の底からありがとうと思っています。「有り難い」。そう、なかなか、ないです、こんなこと。自分が生まれてきたことだって奇跡だし、あなたが生まれてきたことも奇跡だし、そんな我々が、一堂に会したって、それだけで奇跡と思って感動していいことだと、僕は思うのです。それは、配信で出会えたあなたもおんなじで。僕ら、脆くて嘘ばっかりの物語の中で出会って、互いを感じ会えた、って、これはすごいこと。

 

 

 

カーテンコールでも話したけれど、『パダラマ・ジュグラマ』を、100年後にも語り継がれているような古典にしたい。親が子に、恋人が恋人に、友人同士が集まって、この物語を物語って欲しい。この物語があなたの物語であってほしい。そして、あなたも語り部であって欲しい。演劇関係者であれば、どうか、上演して欲しいとさえ思う(サウンドトラックに関しては、オリジナルを使って欲しい)。末原拓馬36歳、人間は本当に死んだりすることを知り自分の人生は永遠ではないと考えた僕の、改めて本気で結論をだした革命の手段です。

 

 

 

僕自身は、この物語は完全にハッピーエンドと思っていて、もちろん、あの後どうなったのかって、タックが、ジュンバが、メグメが、トシリモが、どうなったのか、そんなのは、ご想像にお任せしたいのだけれど、僕は、人生がハッピーかどうかは、生きているか死んでいるか、嫌なことがあったかなかったかではなくて、幸福な最高の瞬間があったかどうかで測るべきだと思っています。死んだら不幸だっていうなら、そんなの、人生は最初から負け戦ってことになる。そんなわけあるもんか。

 

 

 

 

 

語り部9人で挑んだ。いろんなインタビューでも答えたけれど、今回は出会いと縁に任せて仲間を決めた。愛してるから仲間になるよりも、仲間になったから愛する、っていうのが「僕ら」には合ってると思った。実際問題、ものすごくみんなを好きになった。俳優同士なんで、一度本番が終わると、みんな別々の次の物語に出かけていかなくちゃいけない。そのまま数年後会わないなんてこともザラにある。でも、それでも、たぶん僕は今回の仲間全員を心底仲間であると生涯思い続ける。それくらいに、圧倒的な時間を過ごした。そう感じ、思ってる。

 



登坂淳一さんとの出会いの幸福さ。知性と感性を刺激してくれた。初舞台ということでの緊張感はお互いにあったはずだけれど、誠実に、真剣に、勇気を持って挑み続けてくれる姿勢は、座組にとっても素晴らしい効果をもたらした。この出会いを、誇らしく思う。ジュンバという役についての掘り下げは、2人で繰り返し話し合った。ジュンバというキャラクターの細胞が圧倒的に増えたと思う。



富田翔は圧倒的なムードメイカー。座組みを作る上でとても重要な役割を果たしてくれた。「漢気」という言葉があるけれど、翔さんは、まさしくその漢気が服を着て歩いているような男で、自分のことを後回しにして、周りのために尽くし続けてくれる。そして、周りを助けられる自分であり続けるために、常に自分を丁寧に整え鍛え続けている。10年以上ぶりのタッグになったけど、この再会は幸福だった。僕はトシリモに懐く役だったけれど、プライベートの関係性も多分に影響してる。



八神蓮との稽古はとにかく楽しかった。同い年ではあるけれど、同い年だからこそ、踏み込みにくい部分というのも本来はあるんだけれど、僕らはそういうもの全部取っ払って、丸ごと同士でぶつかり混ざり合うことを選んだ。蓮は間違いなく才能がある。これからどんどん開花していく可能性のあるその素質を、少しでも刺激したいと思った。相手役としても、嘘なくいろんなものをぶつけてくれるからたくさん心が動いた。そんなこと話さないから本人の気持ちはわからないけど、蓮の、蓮とのこれからは、楽しみなように思ってる。



岩田華怜は、何一つ物怖じしないで現場にいてくれた(ように、僕らはみんな思えた)。年齢もひとりグンと下だったけれど、間違いなく信頼のおける仲間で、ちゃんと全員が華怜にも頼って、体重を預けてた。物語やキャラクターに関する考察や感受性の豊かさは素晴らしくて、彼女がいなかったら、多分、また違うパダラマ・ジュグラマになってしまっていた。出会いに感謝。これからも、おぼんろ の仲間であってくれたらとすごく思う。

 



塩崎こうせいは、もう半分劇団員みたいな扱いにしてしまっているんだけれど、劇団員以上に今回の座組みを支えてくれた。決してムードメイカーなわけでもなく、なんなら、無駄なことを一切喋らない男なのだけれど、舞台上における圧倒的責任感とプロフェッショナリズムで静かに厳かに僕らを刺激し続けてくれた。かっこいい男だ、本当に。

 

 

個人的な話。

 

思えば、ギリギリまで、感情を解放しないように気をつけながらの稽古でした。この作品の中に渦巻く様々な時間や思いはもはや魔法のようになっていて、そこに無防備に身を委ねすぎると自分がもうアンコントロールな状態になると僕は理解していたように思います。実際、本番の幕があいてからの日々は、感情に突き動かされるばかりで、記憶があるかと言えばそうでもありません。

 

ゲネプロから数えると16ステージ、休演日もないままに板の上に立ち続けました。本当は、僕以外の語り部たちもそうしたかったのだと思っています。様々な事情により結果的にこうなっただけではあるのですが、たくさん板に立たせていただけた事、心から感謝します。たくさんの仲間に支えられて、千穐楽までまで完走する事ができました。

 

あと、プレミアムチケット用の特典としてパダジュグタイムズという新聞を毎ステージ出版するとなぜか言ってしまった僕は、常に締め切りに追われていると言うシュールな本番期間中を過ごしました。大変だったけれど、でも、楽しくはありました。記者として仲間達にインタビューするのは、思いの外たのしかったです。



劇団員との絆もとても深まったように思います。て、劇団員だけで撮った写真を載せたかったけど、そんなもの、撮ってない。(そもそも、自分の写真を一枚も撮ってないことに今頃気付く)


劇団員とはプライベートで会うことなんて全くない間柄だけれど、ともに同じ船に乗ることができていることを強く感じた。8年前は呉越同舟くらいの意味合いでいた僕らだけれど、今では、船を守るために共にいる。さひがしジュンペイ、わかばやしめぐみ、高橋倫平。この3人がいなかったらできていない、と心から思う。僕は僕の感性を信じている、けれど、僕は人間的に足りない部分があまりに多く、実際、年がら年中、何をどうしたらいいのかわからないことが多い。劇団員がそばにいてくれて初めてギリギリ成立しているんだな、と、今回も思った。演劇的ないろいろなアイデアも、仲間たちがたくさんくれる。みんな、すごいんです。そして、心の支え。みんな、健康に気をつけて長生きをして欲しい。本当の本当にそう思う。あと、みんな、どんどん活躍して欲しい。

 



スタッフワークにも心から感謝。今回も、たくさんの力に救われた。「スタッフさん」という他人行儀な心持ちでは決してなくて、語り部たち同様、一緒に戦っている仲間だと思っている。舞台美術、照明、衣装、ヘアメイク、音楽、音響、小道具、映像、グッズ、制作、舞台監督、振付、演出助手・・・「おぼんろ」という場所、世界観を創ってくれている才能ある仲間たちが、心から誇らしいです。

楽しくてたまらなくって、とにかく、みんなで遊ぶためにまた次の公演をやりたい、と思うくらい。今後とも、よろしくです。表には見えていないスタッフもたくさんいます。稽古場で代役をやってくれる仲間がいたり、パンフレットを編集してくれる仲間がいたり、たくさんのデザイナーがいたり、受付回りや、片付け、衣装のメンテナンス、あの紙吹雪たちだって、毎回、みんなが力を合わせて片付けをしてくれていたし、そもそも、あれだけの紙たちの一枚一枚を、全て手作業で切り出している。とてつもなく大きな全員の力の集合体であると感じながらに、みんなに改めてパチパチと拍手を贈っていただけたら幸いです。

 



参加者に感謝。新たな出会いと再会に心から感謝です。おぼんろ も、思えば長く活動してまいりました。


(8年前↑)

本公演も今回で20回目です。これまでに、おそらくは数万人の参加者と出会ってきたのだと思います。そんな参加者が、フラッと久しぶりに劇場にまで会いにきてくれたり、SNSで何かを書いてくれたり、もしくは、少しでもどこか遠くでおぼんろ のことを気にしてくれたり、そういうことが、本当に嬉しい。一度出会ったからには生涯仲間だ、と思い込みがちな僕らは、そういうみんなのエネルギーをもらって、今、活動できています。今回、初めておぼんろ に触れた方も多かったように思います。それは、あまりに嬉しいことです。どうか、この縁を大切にしたい。僕ら、生涯、おぼんろ をやり続けるかと思います。どうかどうか、ずっと、何度も出会いたい。「おぼんろ」という物語が、あなたと僕らの物語であれたらいいな、と心から思っています。どうぞ、今後もよろしくお願いします。

 



父のこと。再演を決めた一番の決め手は父のことでした。父の遺してくれた音楽、たまに創ったものを、まだまだ世界中に鳴り響かせてやりたいという思いが、僕の背中を押しました。自慢させてください。素晴らしい楽曲だったでしょう?

いつも、父に守られている感覚でした。板の上では何も恐れず、僕は僕の役割をまっとうできた。

共催してくださった講談社、ホリプロ・インターナショナルへの感謝も尽きません。おぼんろが、これまで以上におぼんろらしくなれるように、度重なる打ち合わせを繰り返し、仲間として一緒に闘ってくださった。まだまだ、進化の過渡期のさなかに僕らはいるけれど、共に歩むこれからが楽しみでなりません。物語で、世界を変えていきたい。夢見るように闇雲に言っていた、8年前とはもう同じでいてはいけない。具体的に、本当に、やらなくちゃだ。


公演が終わりました、ありがとうございました、ということだけ書こうと思ったのに、どうも、長くなりすぎました。際限ないので、ちょっと、とりあえず挨拶は一度、この辺りで終わろうと思います。もちろん、これからも様々なことを書いていきます。どうかどうか、今後ともよろしくお願いします。

 

おぼんろ は、これからも活動を続けていきます。どうかあなたと共に歩みたい、同じ世界を生きていたい、そう願うばかりです。同じ物語のなかで時間を過ごしてしまった僕たちは、もう他人には戻れないんだ、なんてことを思い願う自分です。

 

おぼんろ第20回本公演

『パダラマ・ジュグラマ』

 

2020年2月のこの出来事を、ずっと覚えていようと思います。

 

また会いましょう。

会い続けましょう。

 

パーダラマッ!!!