これから僕らの時代は、絶対にこんなことがないようにする。絶対に。暴力で世界を動かすなんて、古い。大昔のやり方だ。家族や友人との食卓、音楽や物語、笑いや絵画、スポーツやゲーム、そういうものが大切だ。守るための方法と決意を僕らは持ちたい。なるべくたくさんの僕らで、持ち合いたい。


君、迷うな

選んだ時点で偉かった

その道を全力疾走せよ

君は合ってる

合ってる

絶対うまくいく


きらくにいこうきらくに

だいじょーぶだいじょーぶ

なにひとつ

だいじょばないことなんてない

。。。。。。


なんで、お金使って武器や弾薬バラまいて、何百人かくらい死んだ後からじゃないと話し合いができないんだろう...


ケンカ漫画の読みすぎじゃないんだろうか。


でも、よほどのことがなければ、やって無かろうな、こんなに世界から批判されてまで


とは思いたいので、一方的な情報は信じないようにしようという自分もいる。


戦うことがかっこいいと思う人たちのことはわかる。実際。映画にも舞台にも漫画にもドラマにも、バトルものというのがあり続けるのは、根本的な動物的反応なのかしら。たしかに自分も、ヒーローを見て興奮して公園で暴れていた頃はある。幼稚園生のころくらいかな。


、、、、

ハッキリ言って僕は戦争に行っても人は殺したくない。家族のためには生きて帰りたいけど、家族のためにも人は殺したくない。両親を人殺しの親にしたくはない心持ち、ある。


とりあえず、日本が東西もしくは南北に別れたとして、戦争になったとする。まー、たぶん大抵はメカの殺し合いだから、兵士同士が顔を突き合わせることも最近は少ないのかも知れないけど


僕なら戦場でであった相手に「やめとこ!?」て言えたい。


令和を生きる、ある程度ゆとり教育世代めいた僕らからすると、相手も同じ気持ちである可能性は高い。何が悲しくて、そんな、人殺しなんて心身ともに疲れることやるんだよ。なんの得にもならん。僕なんかは想像力がいい具合に邪魔してくれて、仮に憎らしい相手であっても殺したくない。


だから、例えば戦場で会ったら『パダラマ!』ていう。みなさん、戦場で僕にあったら、パダラマ!!って言ってね。それが、「俺らはサボろうぜ」の合言葉。ジュグラマ!て返して、銃を捨てるよ。それで、あなたが僕を騙してて撃ち殺すなら、まあ、いいさ。仲間がいた!という着後に死ねるなら、不幸中の幸い。


ほんとはら言葉よりハンドサインとかがいい気がするね。戦場、うるさそうだから。


何がなんでも戦争をサボる時の合言葉、全世界でみんなが知ってればいい。そういう物語を描こうと思う。


みんながその物語を知っていて、好きでいれば。けっこう、幾らかの殺し合いは回避できる、と、信じてる。みんな、好きなアニメのコスプレとかで戦争したらいいのにな。殺せないでしょ、自分と同じアニメ大好きなオタク。戦地で遭遇したら、話したくて仕方がなくなるっつうの


戦争ダサい、うざい、くだらん、さぼる、得しないことやりたくない、戦争とかっておっさん臭い、ていう、暴力に打ち勝つほどの平和ボケを蔓延させたい。



民衆がいくら嫌がっても偉い人が問答無用で戦争を始めてしまう。この構造を変えるのにはまだもうすこし時間がかかりそうだ。同時進行で、何があってもその気になったり、利用されない僕らでいられる準備をしたい。


すぐには、うまくいくまい。その過程で傷つく人も出ると思う。でも、長い目で見たら、圧倒的に、いい。


勇気が必要だけど、そういう勇気を持ちたい。日本はもう、戦争なんて若者に笑われますよ。一緒に熱くなんてなってやりませんよ、我々は。


。。。。


なんてことを言ってたら、夢を見た。デスゲーム。最近よくある「殺し合いなさい」というゲームに参加するという、なんか嫌なやつ。


学校めいた設定で、部室みたいな部屋に2人ずつ篭りつつ、校庭などでは殺戮が行われてる、みたいな、そんなやつ。


で、たくまの同室は、さひがしさんだったのね。


「やり過ごそうね」といいつつ、二人とも、カッターは持ってて。


夢だけど、色々想像した。もしかして、さひがしさん、拓馬が知らないほどの事情があって、それこそ、子供の命とかかかってて、今ここにいるとしたら


さひがしさんは拓馬の親友ランキング、完全に上の方だけど、だから信じてるけど


守るべき家族との天秤なら、そっち選べー


とか

でもやっば、怖かった。


「ぶっちゃけ、たくまのこと殺さんといかん、って状況だったりする?ちなみに俺は、マジで、やり過ごしたいんだけど」


と話すところで目が覚めた。でもやっぱ、カッターを手放す勇気は、なかなか持てなかった。死ぬのは怖いね、やっぱ。


実は4月に舞台にでます。劇団大人の麦茶。一昨年の秋に『雲の切れ目からのぞいた町』という朗読劇に出させてもらったのだけど、その劇団。よくブログに出てくる泰造さんが主宰の劇団。富士山のグラスくれたひとね。昨日、顔合わせだった。下北沢スズナリという、由緒ある劇場でやる。小劇場界の末席に身を置く割に下北沢にあんまり縁がなかったもので、楽しみ。泰造さんの描く世界観はヘンテコなんだけど、日常に根ざしてはいる。「現代日本の人間」役をやってみたいと近年すごく願ってた拓馬は、ワクワクしてる。あと、劇団員にショウゴくんというのがいるんだけど、このひとが、まあ、芝居がうまい。20年真面目に鍛錬しながら生き延びたら我々は「同期」として語られるんじゃないだろうか。絡みたい。


帰りは、ばらばさんと歩いた。ばらばさん、は、うちの衣装の永田さんのお気に入りの、暗黒舞踏のダンサー。前に一度だけ挨拶したことがある。舞踏てわかる?すごいよ。好きだよ。拓馬は仲良くなって、色々教えてもらうつもり。


実は、稽古以外の時間、とある場所、とある案件のために缶詰になってる日々。最近、リアルタイムでやってることが何であるかを言えないことあって、なんか、心持ちが、変。


色々やってるでお馴染みの末原ですが、実はオンラインサロンをやっています。始めるまでそれがそういうものだとも知らなかった代物で、個人の気持ちとしては、流動的物語の展示場所というか、物語というものについて語る会、みたいなもんで、Monogatalinaと言います。描いたばかりの作品を投げたり、日々の創作的なことを呟いたり、ラジオを流したり、動画を流したり、いろいろ。人生そのものが物語だよね、と思うので、いろんなものを流してる。僕の人生の判断は芸術作品を生み出せるかどうかなもので、何もかもを費やしたりしてはいけない。それでも、たくさんの登録者がそばにいてくれるのはやっぱり心の救いだし、ここがあるから創れるものがある。感謝。宣伝ではないです。感謝、という、そこ。


あ、顔合わせの、名前。家族からもらった名前ら、気に入ってる。気に入ることにした。良い名前だから先なんじゃない、もらった名前だから好きで、良い名前だ、という印象操作は、ワタシが死ぬまで生きるうちに印象づけますの。


演劇でいちおうなんとかなりだしたらパパとバンドをやるんだそれが夢なんだとおもっていたなんてもういまさらだれにいうんだよばーかロックミュージシャンにしかなりたくない人生だったのにもーーう。


おやさみなさい。ぱだはまもまだ続いているし、リュズタンはまた始まっています。


おやすみなさい。

世界は美しい


そのくらいは認められる

そのくらいは後ろめたさなしで


そうだよね!


て言える


そんな僕らにあれますように



おやすみなさい