3月4日夜



オンラインサロンMonogatalinaの中で『ゆるっとおしゃべり会』という配信をやった。月に一回、登録してくれているみんなに向けてやってる。今回はパダジュグの話題が大半を占めたけど、公演の感想だとか質問とかをコメントでもらいながら答えていくのは楽しかった。こういうコミュニケーション、大事。オンラインという文明がなかったら、自分は応援してくれる人やファンとほとんど交流できない数年を過ごしてたはず。そう思うと感謝だ。


あんまり「らっしゃいらっしゃい」的な宣伝は意図に反するからやりたくないのだけど、中にいてくれる仲間が多いのはひたすら楽しい。中には絵や物語、動画のコンテンツがたくさんあって、僕にとっては展示場的な意味合いもある。

友達を呼んでラジオをやったりもする。自分の言葉も会話も落書きも、SNSにどんどん流れて消えていくのが嫌で、保管しておきたい僕にとってモノガタリナは良い働きをしてる。


サロンメンバーは中で生活していて、創作をしたり、それぞれが文章を書いたり、仲間同士で遊んだりしてる。もちろん、ただコンテンツを楽しむ人もいる。いい感じ。ご興味ある方は、どうぞ。


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3月5日

朝から母に「スマホを冷凍庫に入れたらどうなるか」について熱弁される。冬場の車に一晩スマホを置きっぱなしにしてきたことがあるらしく、その経験を元にした推察だ。


午前中は執筆のためカフェにいく。南国めいたところ。


なんだか最近妙にハワイに行きたい。父の念だろうか。今年の8月にはまたリュズタンをやるし、ここのところ、頭の中がリュズタンに満たされてる。海を見たい。


どうもボーッとするので何か食べた方がいい気がしつつ、何を食べたらいいのかわからないのでカリカリ梅を買った。


のだけどどうにも思っていたのと違う。「すっぱい!イェーイ!元気!!」てなりたかったのに、なんか心がもぞもぞ居心地良くない。


よくみたら、「まろやかな酸味」と書いてあった。


僕は基本的に極端に徹底されたものが好きな性分で、大きい音はとことん大きい、かわいいものはとことんかわいい、甘いものはとことん甘い、みたいなのがいい。「ほどよい」みたいなものの良さがわかる大人びた完成を手に入れたいと思うのだけど。


次に通りかかったコンビニで「すっきりとした酸味」というカリカリ梅を買った。


前から、どうして緑のカリカリ梅と赤いカリカリ梅があるのか気になってたのだ。緑のは体によくて、赤いのは悪い、みたいなことだと思ってたのに、違った。酸っぱさの違いだったのだ。


学んだ。



『おしり筋肉痛』の本読み稽古。遅刻をしなかった。寒さを恐れる性分なのでやはりコートは二枚重ねで確かに少しあったかかったのだけど、半袖のひとを街で目撃し驚く。


今回は再再演ということで、リノベーテッド。描き直しがなされてる。第一稿の本読みだった。実際に演者の声などを聞いた上で、泰造さん、まだ手を加えるらしい。作家にしかわからないことだろうけど、執筆はとにかく苦しい。でも、泰造さんの才能を愛してる者として、とことんまでこだわってほしい。


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しょうごくんが休憩中にカップラーメンを食べてた。寿命が縮むよ、と言ったら、「最近のカップラーメンは、塩分以外は有害なもの入っていないらしいから、汁さえ飲み干さなければ大丈夫」と泰造さんが言った。そしたらしょうごくんが、「俺は飲み干すね!俺、このスープの中にさらにチキンラーメンとか入れるもんね!」と自慢した。あー、ドヤ顔ってこれのことか、と僕は思った。あと、あ、変態だ、とも思った。


そのあと、いろんな食品や飲み物に入ってる、カタカナのヤバそうな添加物について語り合った。隣に座ってた女優のひかるちゃんが、「デキストリンは悪そう。deathって感じがする」って言った。「アセスルファムKは?」と尋ねたら「それは、いい。いい感じがする」って。なんでだろう。




演劇は台本が命。


完璧じゃない台の上にどんな演技や演出を載せても、何も何も起きないどころか雪崩が起きて事故が起きたりする。関わった全員と、観客に被害がいくこともある。


「台無し」て言葉、怖いよなあ、と、台本を描いてるときに恐怖が頭をもたげることがよくある。全員の命を文字の羅列だけで護り、なんなら死んだらものさえ生かしてしまうお仕事。


この前、締切の話をブログに書いたけど、誤解なきように補足。


おぼんろのメンバーは、とにかく「待つから、たくまが納得する者を描け」と言ってくれる。

長年の末に、そう言うことになった。完璧主義のせいか、僕は8割クオリティで書けても絶対に台本を渡さない。全編が完全に頭の中でつながり合うまで1文字も書かないし渡さないことも多い。心が弱くパニック癖のあるたくまは追い立てても悪いことしか起きないと言うのが長年共に過ごしたみんなの結論なのか、苦笑いでみんな「待つぜ。どうせお前は名作持ってくるんだから」て、肩をポンてしてくれたりする。この、「みんなが信じてくれてる」と言うことが、いつも末原拓馬に魔法をかけてくれる。「早く書かないとみんなに迷惑かかる。怒られる」なんてプレッシャーの中で、人々の胸を本当に打つ言葉は生み出せない。


うちの劇団員は、正直、セリフが入るのが早い方では決してない。直前に渡してしまった台詞を入れるためにスタジオで徹夜をさせたことも何度かある。近づく本番へのプレッシャーと、やってもやっても台詞が入らないもどかしさで、仲間が目に涙を浮かべてるところも見たことがある。申し訳無さを抱いてほしいわけじゃないのは知ってる。僕は、そんな仲間のために、絶対に妥協しないで自分が完璧と信じられるものを描くんだ、と心に決める。


仲間自慢したくなってたくさん書いてしまった。


(↑ヴルルの島のとき、執筆が遅すぎて、みんな稽古場でずっと待ってた。顔が見たくて、何ページの追加だけもって稽古場に顔を出したんだけど、パニクってて、うっかりパジャマのまま稽古場行ってしまった)


そうそう、昨晩の深夜、劇団会議をした。2月のパダジュグ振り返りと8月のリュズタンのこと。それを語るには、すごくすごく大切な、未来への展望を語り合わねばならない。


前へ前へと突き進もうと言う今。夢と目標をシェアし、作戦を立てる。自分たちは何者か、おぼんろという純度を限界まで煮詰めながら、無限に膨張しようとしている。僕ら、「10年後」なんて悠長なことも言ってられない。生き急ぐくらいでちょうどいいと思ってる。


変化なんか恐れない。何度でも1からスタートして、より凄い、新しい伝説を積み上げる。


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さあ、今日も頑張るぞ。


どうかあなたが、それなりに凹んだり悩んだり、あー、だめだぁ、て気持ちになったりしながらも、


おやすみの前の瞬間には


いい日だった!明日も楽しみだ!


て言えますように。

願ってます。