10月6日

ヒートテック、トレーナー、コート、という格好で出掛けている。寒いのは苦手だ。今が、秋なのだっけ?梨とか栗とかを食べたら秋という感じがするけれど、まだあんまり食べていない気がする。


寒い空気には「冬め!」と言いたい気持ちも

する。でも、本気の冬はもっと寒いよな、と思うから、まだ冬ではないんだろうと思う。冬を舐めないでおく。


「気温の感じ」はよくわからないままだ。今日24℃だってさ!と言われても、それがどのくらいかわからない。みんなが半袖の場所でいつも自分だけ長袖を着ている。それでいて汗はよくかく。


季節ってなんだろう。「ここ20年で一番の寒さ」みたいな言い方を毎年聞く気がする。気候がおかしくなってて地球がまずい、という話は子供の頃から深刻に受け止めているけれど、「エコ」も「SDGs」もどこまで信じていいの?と言う気はしてる。


とりあえず、炭酸水をよく飲むのだけど、買うたびにペットボトルを捨てなくちゃいけないことがいつも後ろめたい。ソーダストリームっていう、家で炭酸水を作る機械を買うか?とずっと悩んでいるけど、実は口ばっかりで、クオリティオブライフを高めることにそこまで前のめりになる才能があんまりない。一周回って、最近は近所で井戸水を汲ませてくれるところから水をもらって飲んでる。こだわらなさすぎるが故、すごいこだわってる人みたいな結論になってしまった。


アトリエの水道自体は、「建物が古すぎて水道管に金属が溶け込んでいるかもしらないから飲まない方が良いかもしれない」と年老いた建物オーナーに言われ、飲めないでいる。もしかしたら飲んでも大丈夫なのかも知れない。


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先日俳優の君沢ユウキという友人と現場で会った。同い年なこともあって仲良しなんだが、冬に現場が同じになる、嬉しい。


それはともかく、このユウキという男、身体がすごい。年中笑っていて、海外から輸入するサプリメントに詳しく、筋トレばかりしている男だ。なんでもパパがボディビルダーらしい。筋肉には才能があると聞いたことがある。生まれつき、筋肉量や性質に個性があるらしい。ユウキは、おそらくかっこいい筋肉の才能があるのかも知れない。触ってみたら明らかにすごかった。


で、また別現場。いま、ヘンリー4世というシェイクスピア作品をやってる。そこに、串田十二夜という俳優がいる。ジュニ、と呼んでる。このジュニ、可愛らしい顔、いわゆる童顔なのだと思うんだけど、どうも体つきがおかしい。分厚いのだ恐る恐る、「がたいよくない?」ときいたら、「ボディビルダー目指していたことがあるんです」と。


筋トレをしたくなるものだ。


服にお金や時間をかけるより、自分の筋肉を育てる方がいいと聞いたことがある。一番のインナーマッスルなのだ、てことだろうとおもう。


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稽古場通いの毎日が始まってる。「出勤型」の仕事が始まるとなかなか難しい。山のような宿題たち、そして、膨大なシェイクスピア台詞を覚えねばならぬ、そして相変わらずクラシックの地方公演が今月は5日もある。徹夜の苦しさは構わないけど体調を崩すわけにもいかない。先日、アデノウイルスの結膜炎という、「子供がよくかかる病気」と言うものにかかってしまった。つらいのになんか恥ずかしいというのは切ない。もう治った。


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テレビはほとんど見ない生活をしてる。ときたま、ニュース見なくっちゃ!と、見るくらい。


子供の時は、ふつう程度には見ていたが、当時で自分のテレビキャリアが止まっている。だから、世界ふしぎ発見!が終了するという話を知ってさすがにショックだ。


恐れていたことがついに、と言う感じ。旅が好きなわけでもないからミステリーハンターにはなれなかった気もするけど、なれと言われればなった。30年以上続けてくれたことに感謝だ。最後にみたのは小学生の頃だったようにも思うが、土曜日の夜は「ふしぎ発見はじまるよー!」なんて言って、お風呂にわたわた入って家族みんなで観たものだ。毎週発見し続けても、世界にはふしぎが尽きないんだってことは、それ自体が不思議でありながら、夢だったんだ。

パシフィックフィルハーモニア東京とのツアー、『ビョノ』がまた再開だ。60人のオーケストラたちプラス自分という編成で、数百人の子どもたちand先生たちに素敵な時間を影響する。身も心も痺れるような、忘れられない芸術鑑賞教室を贈りたい一心だ。

出演はもちろん総合演出的なところで、照明は持ち込み、美術も手掛けた。プロジェクションマッピングなんかもあるもので、とにかく友人たちの助けを借りながら形にした。

なにせ毎ステージ早朝に学校に訪れ、仕込み、昼から公演し、バラし、次の学校へ、というルーティンだ。仕込みやすさ、運びやすさ、予算、など色々考えながらだった。

音楽の守り人ビョノ、という物語の狭間にクラシックの名曲たちが13曲入ってくると言う構成。それにしてもやはり、クラシックは、いい。あまりに、いい。

いずれみなさんにも届けることができればと思ってはいます。全くもって自分にその実行権限はないけれど。

ヘンリー4世の稽古はひたすら、よい。座長の河内大和さんとの出会いは、我が人生においてあまりに衝撃的なものに感じられている。

必死に喰らいつく思いで稽古に参加する日々。


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『ジョーのたかだか一部の物語』と言う、年末に行う朗読劇の準備も始まった。写真撮影や、打ち合わせ、そして執筆。良き出会いも多そうで、嬉しい。前に『メリーモサモサスットンサ』という作品を創ったことがあるのだけれど、その系列のスケールアップ版という感じだ。


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クルム童話の稽古開始も間近。台本の完成稿創りと、楽曲制作。父の親友である山内薫氏と、打ち合わせたり、なんだり。至福。

10月16日

ヘンリー4世の初通し稽古を終えるや否や五分で稽古場を飛び出し、飛行機最終便で徳島へ。出発直前に飛行機になんかよくない感じが見つかったらしく(曖昧)、1時間羽田で待機だった。これから宿について電話で演出からチェックをいただく。非常に贅沢だなと思うし、電話を発明したアレクサンダーグラハムベルを賞賛したい。

。。。


なんだか、書き溜めていた文章の行き場がないといういつもの状況に胸を痛め、こうやって無理矢理に投稿してみました。


みなさま、本日もお疲れ様です。


くれぐれも、体調を崩さぬようご注意くださいませ。


えらい、えらいよ

あなたはえらい


よくがんばりました。


もう、ココアのお風呂にいれてあげたいくらい、あなたをあまやかしたいこころもちです


どうかあなたがしあわせにねむれますよう


おやすみなさい。



朗読劇『瓶詰めの海は寝室でリュズタンの夢をうたった』を9月に、10人の声優とともに上演し、昨日10月1日をもって、その配信が終わった。10月になったの!?というささやかな驚きもありながら、夏休みが終わった気持ちに今年もすこしだけ心がぐずってる。何年か後に読み返すこともあるだろうと、一応文章なんてものを書く事にした。

 

2021年に描いた物語だ。初演の時には絶対に絶対に、人生において長らく続ける大切な作品にするぞとカーテンコールで誓い、翌年に講談社から小説も出させて頂き、新たな俳優たちも迎えて再演もできた。そして3年目、あまりにも豪華な顔ぶれでの朗読劇。

 

なんて恵まれている物語だろう。この物語のおかげで喜びを噛み締める瞬間が何度も何度もあった。

 

どうしてそんなに大切な物語なのかということは、色々なところで語ってきた。もっと言うと、2021年の7月、8月の僕のこのブログを遡ってくれると、毎日のように創作日誌というか、魂のうめき声めいた文章が綴られている。


今回、末原拓馬やおぼんろの存在自体が初めてと言う方ともたくさん出会えるのだなと思い、作品の経緯を説明したい気持ちもあるにはあって、当時のブログのリンクを投稿したりしようかと思ったけど、中には純粋に物語を楽しみにくくなる人もいるかもしれないと思って控えた。控えつつ、自分でも心の奥底に封印していることなので、いっちょ思い返してみるか、と当時の文章を読み返してみようとしたら、あっという間に涙が止まらなくなってやめた。

 

劇場配布のリーフレットにも描いてあるけれど、簡単にいうと、この物語は亡き父に捧げたもので、末期癌が見つかって亡くなるまでの1年間の闘病生活、そして別れを踏まえてリアルタイムで描いていった作品です。

 

病床の父を楽しませようと、「ベッドに寝ている老人のところに、海を盗んで持ってくる少年がいる」と語り始めたのでした。「○○みたいな、わけのわからない夢オチになるんじゃないのww」と父がふざけたのを覚えています。○○というのは、かつて末原家で大批判を食らったあるドラマのことで、とてつもなく謎の解けないサスペンスだと思って興奮していたら、最後、「本人の気が狂ってただけ」というオチで、父と姉が怒り叫んだ、というものです。「いやいや、それはないから!」と笑ったものでした。

 

父と僕は、2020年の夏、病気が発覚した時に、翌年の夏には車で海に行こうと約束をしました。その後、父の病状は悪化の一途を辿っていましたが、なんか、治っちゃいそうな想像もできていて、なんにせよ、僕は僕の物語執筆力があれば、海に行かなくても海への冒険はできるような気がしていたのです。海へは行けなくとも、せめて劇場で海を見せるぜ!と、まあ、その準備をすることが、僕が悪い想像力に負けてしまわないための精神安定剤的役割を果たしていたこともあります。

 

ところが、父が亡くなり、執筆作業はいったん大混乱をしました。届け先のないプレゼントを創作する時間は地獄です。しかし残酷にも稽古は開始します。いや、ほんとは稽古開始前に台本というのは完成してあるべきなんですが、ね。僕は仲間たちにさまざまな思いを語り続けました。嗚咽で喋れなくなったりしつつ、

 

「これから死にゆく老人」としていた殿清を、「先だたれてしまった者」、すなわち、自分自身や、家族、(大人になるにつれ、ほとんどのひとがなる立場)と再設定し直しました。

 

この物語は、父からみんなへのプレゼント。生きろよ、と、まあ、言うだろうなパパは、と思い、息子の僕が筆を取りました。

 

父はプロのミュージシャンでした。幼い頃から、家の中は音楽で溢れ、いつだって演奏や作曲、アレンジをする父の姿を見ていました。コンサート、ライブ、レコーディング現場に連れて行かれることも多く、自分が物を創る仕事を始めるようになったことに父の存在が無関係とは到底思えません。僕はなぜか演劇の方へと進み、物語を産み出して公演をするようになりました。そこから、父には僕の作品で使用する音楽、サウンドトラックを依頼するようになりました。最初は、アマチュア息子のとんでもない甘えでしたが、次第に、芝居が自分の仕事と言えるようになり、最近では堂々と「タッグを組んでる」と言えるようになっていました。


リュズタンに関しても、父はサウンドトラックを創ってくれました。劇中で使われた音楽たちは、なんと父が医師から余命を告げられてから創った音楽たちです。「楽しい作品がいい」と父はいい、自身が大好きな南国の海を思わせる明るい力に包まれた音楽をたくさん創ってくれました。本来ならば脚本ができてから音楽を制作してもらうのが筋なのですが、筆の遅い僕を父は待ちきれず、どんどんと音楽を創り始めていました。これは、まあ、良くないけれど、良くあることでした。音楽にインスピレーションをもらって筆を進めたと言うことがこれまで何度もあります。さあ、7月4日、父は僕ら家族に看取られて天国に還っていくのです。公演まで1ヶ月。劇中で使う、音楽たちを遺して。

 

そんなこんなで、執筆は、父の音楽を聴きながら進めると言う物でした。音楽が自分の御守りになっていたことは間違いありませんでしたが、とことん父の喪失に向き合うには時期尚早すぎたとも思いました。もう、頭の中に思考と感情がぐっちゃぐちゃになった物です。演目がこれでなく、サントラ制作者が全くの他人だったら、「今は父のことは忘れて作品に没頭しよう!」と自分を奮い立たせもしたのでしょうが。今となっては、あの時期に、逃げずに物語を描いてよかったと心から思っています。

 

翌年に再演。


そして小説化。児童書として出版するため、いくつか設定を変えた部分もありました。支えてくださった編集の磯村さんには生涯感謝をし続けます。


朗読劇リュズタン。別現場で共に闘った声優たちとの再会、初めましての出会い、どちらも嬉しかったです。


どんな演出にするかと言うのは、みんなでやっていくうちに決まっていた部分も多いです。出演者からの提案で作品がグッとよくなることも一度や二度ではなく、劇団稽古をしているような心待ちにもなったものでした。



「朗読劇」とは銘打っているものの、独特なジャンルの舞台作品となったように思います。驚かされたのは、皆さんの、キャラクター造形の早さと物語読解力のすごさ。シーンや全編、各キャラクターの解釈については稽古の中で何度となく話すのですが、1伝えると100返ってくると言うあんばいで、役者とはこうあるべきだと感じたのでした。


はやく、また会いたいと心から願ってます。リュズタンまたやろうね!とも言い合いながら別れたし、他の作品でも、また。

キャストそれぞれを褒めちぎる文章を描いたのですが、卒論みたいな分量になってしまったのでいったん消しました。ほんとにみんな素晴らしかったし大好きでした。

一回一回が生のセッションで、もっともっと観ていたかったです。物語がみなさんの遊び場にのっている感じが嬉しかった。

眠る前のBedtime Story、修学旅行の夜の怪談話、お話し会のように、集まって物語をやり合ううちに別世界にのめり込んでいってしまうのが良いと思っていました。ある意味、儀式。


あ、あと、本番出演する役者たちが集まるまで、81プロデュースの若手声優たちが一緒に稽古をしてくれました。この出会いもまた特別なもので、数年後にはメインキャストに入ってくるのかな、なんて楽しみにしている自分がいます。

SUMiRE-sueとしてたくさん絵も描きました。様々なグッズや、メインヴィジュアル、それと、舞台美術のパネルです。衣装も手掛けました。SUMiRE-sueというのは僕のイラストやアパレルなどをやる時の名前です。


(スミレというのは、僕が女性として生まれてきたらつけられる予定だった名前です。姉が考えたそうです。姉は、僕がこの星でもっとも強く崇拝する女性で、リュズタンを小説にするときもたくさん力を貸してくれました。)


様々なアートワークまで手掛けさせてくださったこと、実行委員会のみなさまに感謝しています。思い入れのありすぎる作品、作業することがが祈りそのもののようでした。衣装作りは裁縫の得意な母の手も借りました。実は父のことについてあんまり会話するとまだまだいつでも心が決壊しそうな僕らは、ケラケラとしたテンションでしか父の話をできないでいます。ただ、劇場に父の音楽が流れる度に、なんだか父が得意気な顔をしている様が思い浮かぶものです。こういうのも、なんかいいな、と。


長々と、とりとめもないこと描いてしまいすみません。まだまだ描きたいことたくさんあるのですが、とりあえずは、ここまで。


また会おうね、と心に誓い、次を楽しみにしましょう。


どうかこの物語がいつまでもあなたのものでありますように。リュズタンという物語を知る人がたくさんたくさん増えて、この物語の中で僕ら仲良くなれたらどんなにか素敵だと思っています。


どうか、明日もあなたが素敵に目覚めることができますように。


またね。




おぼんろ第23回本公演

『月の鏡にうつる聲』


公演終了しました。精魂尽き果てたというか、現実との境目のようなものが曖昧になり、千穐楽からしばらくSNSから姿を消してしまいました末原です。まとめの文章はいつも苦手で、語り尽くせるわけがない思いを、せめてほんの少しでも語らうと言うブログです。


遅くなりましたが、公演へのご参加、心から感謝します。


7月頭、稽古を開始したあの頃がとても懐かしいです。「9人の劇団をつくりたい」と話したのが顔合わせでした。劇団員、客演、という壁は全く必要ないと思っていました。「客演さんに迷惑をかけたらいけない」という不安なんかかなぐり捨てて、ふてぶてしいほど仲間扱いをさせてもらおうと思ったのです。


劇団公演なのだから、劇団にしかできないような創り方をしたいと思いました。それは「効率の悪さ」です。物創りにおいて、最短距離を探さず、いちいち遠回りし、話し合い、悩み、試し、壊し、捨て、やり直す。そうやって、「初めて創るもの」を追い求める日々は幸福と興奮に満ちていました。1日1日の稽古が冒険めいた物語に満ちていました。


素晴らしい座組でした。全員の感性が混ざり合い、この作品になったのです。スタッフ含めですが、誰か1人メンバーが違えばまた違う作品になってしまったろうと思います。その不安定な偶然さに神秘を感じます。


けいごが信念と爆発力を与えてくれました。どう考えても変わり者だし、ロジカルスイッチとワイルドスイッチが予測不可能なタイミングで切り替わるのがヘンテコすぎて、だけど本人はいつでも真剣そのもので。初めて会った日からお互いのことを喋り続け、なにも包み隠さず感性をぶつけ合いました。とても尊敬していました。圧巻のラストシーン。あてがきと言うわけではないのだけれど、けいごがいたから完成したのです。ステージの上に存在することにかけてのプロフェッショナリズムは流石としかいいようがなく、どんな時でも、こちらが心配になる程に全力でパフォーマンスをする。体力が無尽蔵なのかと思っていたらそうでもなくて、ちゃんとバテているのに、それでも手を抜かない。セーブしない。その姿に、誰もが勇気をもらったようにも思います。


りゅうのすけ。天性のひとなつっこさで座組に生命力を加えてくれました。いろいろなひとの橋渡しになっていた気がする。真剣で、素直で、物怖じしない。役どころは極めて難しかっただろうに、めげずに、焦らずに、それでも怠らずに千穐楽まで努力を続けてくれました。冷静さと、情熱なのか無鉄砲さなのかわからないめちゃくちゃさが同居してて、これからもっと見極めていきたい。声の良さ、見た目の素晴らしさは言わずもがなだけれど、その素質に見合わないほどに、懸命でがむしゃらでい続けられるりゅう。今後がさらに楽しみでもあります。



ましゅう。一緒にやるのは2回目。今回は演技についてかなり細かく深い話もしました。自分の中で、今後長く付き合っていく相手だなと思えていたこともあったのだと思います。以前一緒にやったときから驚くほど実力が上がっているように思えて、目を見張りました。稽古期間中、演出意図をよく理解し、日に日に演技が熟していくことに座組一同刺激を受けたものでした。座組や作品への敬意、貢献しようという姿勢も素晴らしく、救われたものでした。頼りになった。本当に、それに尽きるのでした。


たいらさん。早稲田大学演劇研究会という、人生で初めて芝居の手ほどきを受けた場所の、大先輩。カリスマ先輩として、伝説を聞いていた存在でした。常に天然ボケで不器用な素振りで、座組の緊張を解きながら、非常に精密に芝居創りをし、稽古期間の中でゴールに行き着くための地図もしっかり描いている、馬鹿のようなふりをしながら、脚本読解も素晴らしくできている。正直、まさかここまですごいのかと改めて驚いてしまったのでした。座組における立ち振る舞いも完璧で、なるほど、少年社中という劇団が有名になったことの要因として、たいらさんの存在はめちゃくちゃ

大きかったのだと身をもって知りました。座長がひとり多いような安心感。まあ、とにかく、何より、芝居が素晴らしかった。あんな純度で板の上にいられること、なかなかない。


こうちゃん。なんかいつの間にか人生におけ?運命共同体みたいに当たり前の存在になっていて、今回も、突然電話をして拉致監禁したような状態でした。最初は、「その時期は厳しいんだよ」と言われたのだけれど、厳しくてもいいから出てね、と言ったら、結果、こうちゃん、ほぼすべてのスケジュールをあけてくれた。今回は、殺陣師としても素晴らしい才能を発揮してくれた。実は殺陣をつけるところをみたのは初めてで、演劇的アプローチを用いて高速で物語的にアクションつけてくのすごかった。様々なこと相談したし、いろいろな場面で背中も押してくれた。役も素晴らしかった。自分の立ち位置を理解し、そして、2度と忘れないような瞬間を散りばめてくる。当たり前に呼び出して本番をやって、当たり前のように別れた。また当たり前のように再会するのだと思います。


りんちゃん。今回は、幾つもの役をやってもらうことにしました。本人がそう言うのが好きで得意なのもわかっているし、高橋倫平という俳優の素晴らしさをみんなに知って欲しかったのです。独特の色気と哀愁があって、観る人をすぐに魅了してしまう。仲間としては、とにかくおぼんろでは、ひとつ上の兄、と言うような立ち位置で常にお節介な目の上のたんこぶでいてくれる。「お前が誰かに気を使うところなんて見たくねぇんだよ」とたまにキレては背中を押してくれる。10年以上前、世界中の演劇界から見向きもされず、池袋の路上で独り芝居をやっていた頃、このひとが俺を励ましにきてくれたのでした。考えてみたら、どんな時でも自分のことを認め続けてくれてたのはこのひとで、この人がいなければどうなっていたのだろうとゾッとします。思えば遠くまで来たもんだ、ってモルドバで一緒に泣いた。これからも、遠くに行きたい。


めぐ。このひとがいなかったらおぼんろは、今のようではなかったでしょう。今回、実は本番中一番忙しかったんじゃないかと思います。様々な重要な役をやり、ツケ打ちなどもやってくれました。あまりに過酷なことなのに、絶対にやってくれる。やってくれた上で、「ありがとう」と言ってくれる。演劇を真に愛しているのです。そう言えば、これまでめぐみさんが弱音を吐いたところは見たことがない。何年か前から「あたしは舞台の上で死にたい」と言うようになりました。冗談じゃない、迷惑だよ、と笑って返すけれど、最悪、もしそんなことになったとしても「あの舞台のあのシーンで最期ならわかばやしめぐみは天晴れだね」と言われるように作品を創ろうと実は毎回思っている。猿彦という若い青年をやり、ビクロという年老いた病気の母親をやり、桃太郎という少年をやり......多くのファンを魅了する彼女を、仲間として誇らしく思います。


さひがしジュンペイ。「今回自分はサポートくらいの立場でいい」と、当初は気を使って連絡をくれたりしていました。たくさんの客演を迎える中、いい役なんかもらうわけにはいかないし、気にするなよ、という優しさです。けれどやっぱり、老いたる桃太郎はこの人以外には考えられなかった。不思議なもので、劇団員への愛は並々ならず持ちつつも、必要ないなら別に使わないというドライさは持ち合わせているつもりです。それはお互いそうありたいね、と、暗黙の了解で我々が持っている絆の在り方で、自分に関しても、作品がつまらなければ出てもらえない覚悟も忘れずに待ち続けています。さひがしジュンペイがいなければ、今回、作品はこれほどまでの魂を手に入れられなかったのだと思います。信じられないほどの感情とエネルギーを作品に与えてくれた。永遠に尊敬する芝居の師でありながら、お互い、まだまだ俺たちには成長の伸び代があるはずだ、と見張り合い、芝居についての話もよくする。もっと、もっと上に行きたいね、とよく話す。そうやって、共に生きていきたいものです。


たくさんのスタッフに心から感謝します。稽古場に通い詰め、その場その場で変化していく作品に寄り添ってくれた。自由に物創りをできて幸福でした。自分が最初ですべての計画を立ててから物を創るのが嫌いなもので、日々何かを思いつき、急ピッチでみんなが形にしていかなければならない。大変な現場なのだと思いますが、すべての箇所でスタッフと魂を共有できている確かな実感が、作品に魔法を与えてくれたように思います。


製作委員会である講談社、ホリプロインターナショナル、ローソンエンタテインメントにも、なんと感謝を伝えていいのかわからないほどに助けられました。自分たちはなんて恵まれているんだと、幸運を噛み締めています。


人生における、大切な一本でした。僕個人としては、自分に嘘をつかないで物を創ることができたことが大きかったです。自分の声に耳を傾けること、これからも続けていきたいと思います。


これまでのすべての公演、海外渡航、さまざまなことを経て、日々、前に進めています。応援して寄り添って、ともに歩んでくださる参加者のあなたに心から感謝します。


いま現在、はやくも、次回本公演に向けて動き出しています。やりたいことがありすぎて、焦っていますが、ひとつずつ、ひとつずつ進めていきたいです。『月の鏡にうつる聲』も、ほんとはまたやりたい。全国や、海外にも持って行きたいのです。


あなたへ。

必ず、また会いましょう。

出会えたことに心から感謝をしています。


同じ物語に参加したのだと言う記憶を大切に待ち続けながら、お互いなるべく長生きをして、これからも何度も出会いましょう。


本当にありがとうございました。



キンキラキンのラブをあなたに。