海外から帰ってきた。海外にいても思ったより日本の世界は自分の中に続いていたし、日本に戻ってきても想像以上に海外は自分の中に止まってる。


どこにいても自分は自分、よくもわるくもよくも。


バイキングにおいて食べきれない量の食べ物をお皿に乗せてはいけないのと同様と言うか、再会しきれないほどの友人を使っては行けないんじゃないかというようなことを心のどこかで思っていて、


人生で好きな瞬間ランキングの相当上位に入るであろう「出会いの瞬間」なのだが、慎重にもなりかける。


また会いたいと思える人がたくさんいるというのは長生きをする自分への言い訳になるしとてもいいのだろうけれど、心のどこかで、全員との再会は出来まいな、とわかってもいる。せめて心の中にこの人の存在を留めておこう、なんてことも思うけれど、それさえも、不可能とわかってる。忘れることは人間の脳のすごい機能なんだぞ、と誰かが言っていた。


いちごいちえ、という言葉、なるほどさすがだ。出会って、わかれる。旅先ってそういうもんだ。そして、じんせいははくたいのかかくなり、って言うように、生きることすなわち旅みたいなものなんでしょう。


ドイツのカラス。ちゃんと外国風だ。外人ならぬ外鳥。でも、カーカーという鳴き声は聞いてない気がする。鳴き声もドイツ語なのだと思う。


自分の名前の2文字目に縦棒を一本入れられたせいで耳が伸びてニンジンを好きで目が赤くなりそうになったウナギ。


チェコの、出版社とビール屋が合体したところ。編集長がビールを注いでくれる。そこの犬が底抜けにかわいかった。

ここではレッドツェッペリンがそれなりの大音響で鳴り響いていて、よかった。モルドバでも、ドイツでも、チェコでも、60〜80年代のロックがそこかしこで流れていて、そのことに大きな感動をした。このことについては、ほんと、いつか長らく時間かけてちゃんと話したいのだけど、簡単に言うと、ロックとこの世界のことを確認できたことが、今回の旅の一番の意味だった。そんなつもりなかったのに。

旅の話ばかりがないから、いったんここまで。じゃあいつ話せるんだ?とも思うけど。いま、七夕の午前中。彦星と織姫はソワソワしてるだろうなと思う。服を着ては脱ぎ着ては脱ぎ、あーでもこーでもって。ふたりは今日以外にzoomは導入したりしたんだろうか。してなくていい気がする。


そう、信じがたいことなんだけど、帰国してもう2週間くらい経ってる。マジか。


なにせ忙しかった。締切をバシバシとこなした。これがまあ、自分でも意外なくらいにいろいろちゃんとやれた。海外に行って病気にもなったのだろうか。


恵比寿にある「写真集食堂めぐたま」の店内に絵を描きに行ったりもした。店の主ふたりが素敵すぎると言うパワースポットだ。おすすめ。


代々木公園で開催されるアースガーデンというイベントにSUMiRE-sueのブランド服やカバンを出品したりもした。

というようなブログを描いてるままにしてて、今更投稿するのもなんだろなと思ったけれど、ここに来て文字たちを葬り去るのもなんだろな、と思い、投稿。誰にも読まれないまま熟成された言葉って結構世の中にあるんじゃないだろうか。日記帳の中の言葉とか。古いものが100年経つと九十九神になるように、文字も歳を取れば何かになる気がする。さあ、紙に書かれた言葉ならすごくそんなことあり得そうだろうけど、オンライン上の言葉ならどうなんだろう?誰かに読まれたら、そこに言霊は宿る気がする、人の意識の中で存在するから。でも、誰にも読まれぬまま電脳の海の中を漂うだけだったら?パソコンのアプリケーションの中に眠るだけだったら?その文字たちの物語もなんだか気になる。ちなみに、ツクモガミは、付喪神と書く方が意味がわかりやすいけど、九十九神にという漢字の素敵さも捨てがたい。

5月29日

今日から3週間日本を離れる。荷造りが壮絶に辛かった。猫は場所に安息を求める生き物だから、移動がストレスになりがちだと先日聞いたのだが、なるほど、自分が昔から旅を苦手とするのは、なんかそういう猫めいた性質が関係しているのかもしれない。猫っぽいなんて言われたことなくて犬っぽいと言われがちだけど。


以下、書き溜めた文章などあるので、一回投稿しちゃおう、と思っての投稿です。


。。。


忙しい。仕事を重ねると普通に壊れがち。やることだらけなのだから思いついたそばから手をつけていけばいいだけなのに、何をやり始めても「こんなことやってる場合じゃない!」と焦る。落ち着け。優先順位の付け方が勝負を分けると言うじゃないか。



なのにステラボールにも通ってる。一般的に、開幕したら演出家は劇場にこなくてもいいことになってるのだけれど、品川に通い続けてる。ただただ、少しでも作品を良くできるんじゃないかと思うと居ても立っても居られない。本番を見ながら大量のチェックをメモして、終演後楽屋へ行き俳優に伝える。もしくは、翌朝、PCでタイピングしたのをプリントアウトして、楽屋の机に置いとく。


。。。

まあ、稽古場でもひたすら稽古をした。別に稽古をしたことを自慢するのもおかしいけれど、しつこくしつこく演技の力を高めるべく闘った我々の結束は強い。演劇、物語、物語。芝居。物語は、劇場を出てからも人の心に残る。なんなら、生涯残り得る。そこが、いい。虚構で真実を伝えるのは簡単なことじゃない。だけど、それをやるために生命を注ぐのが、好き。

母の日。今回の現場の産みの親であるプロデューサーのことを妙に好きで、思わず、カーネーションを送った。

実は、今回初めて一緒に仕事をする。プロデューサーってなにをしてるの?って、普通の人は知らない。どこまで権限があって、どこから権限がなくて、でも、どれほどの責任を負って、どれほどの決断をして、どれほどのものを守ってるのか。もちろん、人それぞれ。我々クリエイターやプレイヤーは、プロデューサーの愛情と信念の強さ、器の大きさがどれほどかによって、現場中の運命が左右されるところがある。プロデューサーは「自分は裏方なので表には出ない」という美学を持ちがちなのだけど、素晴らしいのだぞこの人は、と世間に言いたいときもある。今回も、そう。まあ、これから、「どうもこの人の作品には一貫した良さがあるぞ」的に作品が証明していくとは思うけれど、現場の立ち居振る舞い素晴らしいのだと言うことみんなにバラしたい。


主演映画『エスパーX探偵社』3週間に渡り池袋シネマロサにて上映されていたけれど、5月19日をもっていったん終了。このあと、大阪と名古屋でやられるらしい。みなさまどうぞよろしくお願いします。


我が劇団おぼんろは1月と2月に上演していた『ゲマニョ幽霊』の海外公演が目前。

モルドヴァ共和国。おしもおされぬウクライナの真隣の国。ゼレンスキーは広島に来て、おぼんろはモルドヴァへゆく。


海外で配るポスター。物語や演出を大幅に改変した。初演をご覧になった方は腰が抜けると思う。でも、とても大切で素晴らしい作業だった。海外公演は、挑戦。頭が真っ白になって力が入らなくなるくらいの緊張もある。なんならお腹も痛い。けれど、絶対に勝つ、と心に決めてはいるもので、執念深く作品を解体し、再構築した。自分を見つめ直すこともした。進化のタイミングであると感じる。


他のカンパニーは、同じヨーロッパだったりで地続きなもんだから、美術なんかも持ち運んでくるようなのだけど、我々はそうも行かない。言葉遊びを売りにしてきたはずだが、言葉も伝わらない(字幕は出るけど、最低限の言葉だ)。


メッセージと、肉体で勝負だ。


いろいろな事情や制約あるけれど、言い訳しないで生きていける自分でありたい。どこに出しても恥ずかしくない、自分とも分かり合えている自分でありたい。





たくさんのご支援ありがとうございます。


。。

さあ、勝負。行ってまいります。

いざ、モルドヴァ共和国へ。

舞台演出をすべく品川通いである。品川・・・あまり馴染みがない。

 

いや、「馴染みがない」、と冷たく言い放つよりは馴染みがあるんだと思う。仕事であったりちょっとした用事だったりで、生きてきてそれなりに何度も上陸している。それなのに、なんか、疎遠な気がするのはなんだろうか。ビルが多いからだろうか。訪れたことのある回数で言えば巣鴨とかの方が少ない気もするんだが、巣鴨の方が「こいつツレやねん」的な関係性を築いたような錯覚を持つ。

 

完全に、キャラの違いだと思う。


そう考えると、品川が不憫に思えてきた。多分、あの圧倒的なシティ感というか、大人っぽさと言うか、ビルだらけ!な感じとかに、こちらが勝手に緊張しているのだと思う。よくよく考えてみれば、水族館あるし、新幹線乗れるし、水辺も近いし、人をもてなしたい心持ちはとても強い街だ。もしかして、品川は、みんなと仲良くしたいのかも知れない。巣鴨とかに、憧れているのかも知れない。刺抜き地蔵でいいのに、ついつい、品川の奴はコージャスに王子な感じを名乗る宿とか用意しちゃう。もしかして不器用なのかも知れない。

 

品川を愛したい。四角が三つに縦棒三つ。「品川」と言う文字も、なんだか可愛いじゃないか。反対から読めば「わがなし」だ。だからなんだ。

 

とにかく、品川と仲良くなるつもりだ。

 

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月が大きい。月が多いと動物の情緒は乱れると思っている。ましてや5月。五月病のパンデミックが危惧される季節だ。「なにか新しい環境が始まって1ヶ月目をこえたあたりから」というのが、どうもメンタルやられがちってことです。我々のような舞台人は、なんだかんだ新しい現場も1ヶ月で終わるし、長めの本番でも、終わりが見えやすい。そういう意味では、あんまり五月病にはなりにくいのかも知れないなあ。


「五月蝿い」と書いて「うるさい」と読むと知った時はみんなと驚いたよね?旧暦とは思うけど、5月ごろに現れたんだろうな、蝿。だがしかし、ノイジーなものの代名詞にされてしまうとは。すごいな。「拓馬い」と書いてなんと読まそう?なんて考えちゃうよね。いや、考えないわ。




ここのところ鳩が気になる。春先っていつも鳩が気になるっけ?蟻とかは春先のイメージあるけど。


そういえば鳩もカラスもスズメも、寝ているところを見たことない。どこで寝てるんだろ。


ていうか、寝ているところを目撃したことのある相手って、地球上にあんまり多くはない。それはなんだかそんなに悪くない事実な気がする。


ちなみに自分も、人がいるところで眠るのは苦手。林間学校の時も、一番遅く寝て一番早く起きてた。

 


5月末からモルドヴァ共和国に行く。芝居の公演が決まっているのは6月前半の一回だけれど、そのあとしばらく周辺諸国を周遊する。さまざまなものを見てくるつもりだ。自分探しの旅というよりは、これまでの自分をいったん行方不明にしてみたい気持ちはあったりする。


なんだけど、それまでに終わらせようと誓っていた物事が、終わっていない。焦る。ヨーロッパまで行って日本の締切に追われてるのは切ない。がんばりたい。がんばりたいけれど、やはり現場中は現場のことで頭がいっぱいになってしまう。



スターバックスがアルコールを扱うとしたらスターバッカスというお店の名前になります。


こういう駄洒落は、Twitterで言うほどではないけど、言わないのは嫌なので、こういうところに書く。書かれた方は迷惑かもだけれど、書かれなかった文字たちの魂が行き場を無くすのは忍びない。許して。


。。。


僕らやっぱり、手段と目的がごっちゃになりがちな生き物だ。逐一、気を付けたい。「えーと、いまやってるこれは目的だっけ?手段だっけ?」と必死で作業をする最中にも立ち止まることが大切だ。手段そのものに喜びを見出して目的化してしまうのも人間ゆえの上品な愚かさだけれどね。迷子にならぬよう、気を付けたい、逐一。


。。。。


雨も降るし地震も多いし、まさしく地球人を満喫しているなあ、と言う日々。


。。。


カンボジアに作っている井戸が間も無く完成すると連絡をもらい、現地のことを想像する。井戸が完成した暁には、そこにいこうと思っている。子供たちと共に何かをしたいのだけれど、何をしよう。何ができるか。歌や紙芝居?演劇で心を掴めるのか。一度落ち着いてよく考えてみたい。ほんとは生涯をかけて考えてもいいことのような気もする。


。。。


さ、がんばるか


きょうも、むりしすぎず、じぶんとなかよくできるように、いきてくださいな。


あなたがげんきでありますように。