青森 ねぶた祭り | オカハセのブログ

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僕が初めて青森のねぶた祭りを見たのは19歳の時、
自転車で放浪の旅を始めた時です、30年以上前になります。
この頃のねぶた祭りは異様な盛り上がりを見せる祭りでした。
その後マナーの悪い連中等が災いして、規制が厳しくなり、交通規制もきっちり時間通りに解除されるようになりました。だからテンション上がって時間が過ぎても「ハネト」(ハネる人。踊ると言わずにハネると言う)が盛り上がったりするという事もなくなり、タイムスケジュールにきっちり沿って通過するようになりました。
安全にはなりましたが、祭りの盛り上がりは当時に比べると正直「東北3大祭り」という程ではないと感じています。
これが関西や九州の祭りならケンカ等が起きるのが常だと思いますが、その分祭りの盛り上がりも半端ないと思います。
もちろんケンカせずに安全に出来るに越した事はないですが「1年に一回のイベント」あらゆるストレスや毒を発散する儀式みたいな物が祭りにはあると思います。
キリスト教系の方からすれば、このような儀式は「サタンの勢力下の祭典」と言う様な捉え方をする方は少なくないと思います。
しかし僕個人の感覚では、神というのは「全て」つまり「神ではない物も含めた全て」だと思うのです(もちろん証拠なんて無いからあくまでも僕個人の考え)。
話が逸れましたが(いや、逸れてない、笑)、このような儀式は民衆の壊れそうな心を守ってきた歴史があると思うのです。
祭りとメンタルの関係は僕より詳しい人がいると思いますから詳しくは書きませんが(僕は感覚で言ってるだけなので)…
ケンカは良い事ではないけど、このような儀式の伝統を守っていけるのは関西や九州の様な荒っぽい気質が幸いしているのだと思います。
全ての物事には「良い面」「悪い面」そして「どちらとも言えない面」があるように思われます。

僕はこのねぶたの高揚感を味わいたいだけの理由で、5年間の自転車旅行中「3回」青森に来てる(笑、どんな周り方してんだ…)。
寂しい事に来る度に、祭りは少しずつ決まり切った「形」にハマっていきましたね…
それと比例するように観光客の席が沢山配置されるようになっていった。
初めて来た時は観光客よりもハネト優先(だってもともとは観光客の為のお祭りではないから)の空気がまだかなりあったけど、やはり市に観光客が膨大に集まる祭りなので当然市は「観光客に見映えの良いお祭り」にする。これに対しては部外者の僕はとやかく言えません。ただ祭りの盛り上がりがかけた事は津軽衆も認めているようです。
多分関西や九州へ行っても市のやり方はそう変わらない、ただ民衆の声が「黙ってない」。
覚めた言い方すれば「これだけの民衆を怒らせたら上手く行く物も上手くいかない、これは民衆の声を聞いたほうが安全にお祭りを維持できるかも」という損得感情と思います。
もちろん損得感情でも市を動かす民衆のエネルギーは素晴らしいです。いやむしろ市とか国とか権力を動かすのは「こちらの方がお得ですよ」的なアプローチがいちばん効果的でしょう。

あっ、これ読んでいる思想家の方(笑)、僕は左とか右とか関係ないですから宜しく(笑)。どっちも似たようにしか見えないので。


結局今日の記事は俺何が言いたいんだろ、話が飛ぶ飛ぶ、タイトル変えようかな(笑)。

今日(に限らず)の記事はお祭りの事だけではなく音楽業界やその他の世界にも通じる話ではないかと思います。


オカハセ。