宮崎県高鍋町海沿いの喫茶店《 自分史[16]》 | オカハセのブログ

オカハセのブログ

ブログの説明を入力します。


宮崎県の高鍋町という場所の海沿いに、ジャズ好きなマスターがやっている「イ○○ル○○ド」という喫茶店があったので訪ねた。
マスターは僕のギターを気に入ってくれて「しばらくここに居てもいいぞ」と言ってくれた。

食事もマスターの家族のところで一緒にして、時々マスターが宮崎市のジャズ屋のジャムセッションに連れて行ってくれて、居候の約2か月間全くお金を使わず(路上ライブやれる様な町ではないので金はなかったが)居させてくれた。

今から考えると相当いい人だったはずなのに、その頃は全くありがたみを感じない天然のイタイ奴でしたね、僕は…

ある日マスターの車に乗っている時、運転を止めて「お前、今井美樹って知っちょるか?」と。
目の前は「今井電機」という店。
店の前には「エルフィン」という今井美樹のセカンドアルバムのポスターが貼ってあった。
僕はずっと野宿で旅してるからテレビは1年以上観ていないので「知らない」と言うと。
「そーか、1年ちょっとくらい前にデビューしたんだけど、まあまあ人気が出てるみたいなんだ。美樹は、よくウチの店にも遊びに来とったんだ」。
今井電機は家庭電化製品の店では無く「オーディオショップ」だ。
{88C07417-27AB-448C-B69E-D7A16FAD61B2}
今井美樹の父親が大のジャズ好きで、店ではいつも高級オーディオからジャズがかかっているらしい(後に今井さんの「瞳がほほえむから」や「ピースオブマイウィッシュ」等のヒットにより、宮崎市内に家も店も移した。その後父親は他界して、多分今は店も無いと思います)。
幼少時から上質の音でジャズが流れる環境で育った今井美樹は、音楽が身体に染みついているのかもしれない。
帰ってからマスターは一枚の写真を見せてくれた。
マスターがドラムで、他にウッドベースとギターとボーカルが店でジャムっている写真。
そのボーカルが今井美樹だった。
お得意の笑顔で歌っている。
何を歌ったのかなぁ。

そのことがきっかけで今井美樹に興味が出て後年にハマることになります。

ちなみに僕は今井美樹さんにはあった事はありません。僕が訪れる1年くらい前までは時々店に来てたらしいので、その頃に来てたら彼女とセッションできたかもしれない。それを録音していれば今頃自慢できるのに…(笑)。


それとこのマスターは芸能界のプロPAをしていたらしい。
さだまさしのツアーは専属のPAとして担当していた。
僕もさだまさしが好きだったので、この曲知っちょるか?あの曲知っちょるか?と話が盛り上がった。

プロのPAをいきなりやめてインドに行き、その後しばらく消息不明だったらしい(笑)。
さだまさしの何かの本には「○井○人、現在消息不明、至急連絡をするように!」と書いてある(笑)。
さださんのラジオ番組にゲストで出て、インドの体験を話した事もあるみたいです。

稲生座のマスター同様、このマスターからも僕は音楽をやる上での大事な事を教わった。

イエスマンに絶対になれない僕でも、この2人に関しては確実に恩人です(その頃は嫌だったけどね)。

年をここで越さないかとマスターは言った。

喫茶店の手伝いをしていた僕に少し正月は手当をはずむと言ったが、「正月は浅草の雷門の辺りで路上ライブをしたい」を通した。
マスターは僕に嫌味を言いながら不機嫌になった。

確かにその通りだ。

↑に書いてあるように散々世話になって置いて「ここの手当よりも雷門のほうが投げ銭が入るから」と言ったからだ。

だけどそれだけの理由だけではなく、離れたかった…
喫茶店の手伝いも怒られっぱなしだったから「何のために1人旅してるんだ俺は!」と、まあ自分勝手な思考になっていた僕は、解放されたかった。

そうして高鍋町を離れ、日向(ひゅうが)というところから船に乗って神奈川県の川崎に渡った。








オカハセ