内輪ノリの弊害 | オカハセのブログ

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今日の記事は、人によっては「オカハセさん硬いなぁ」とか思われるかたもいらっしゃるかもしれません。僕も我ながら「少し硬いかなぁ」と思う節はあります(笑)。
だけどこれは本心だし、これからのオカリナ(に限らないけど)に大事な話だと思っているので書かせて頂きます。



インターネットTVでも少し話しましたが、オカリナのためのイベントはオカリナ愛好者以外の人とかが入ってこれない空気を作ってしまう傾向がたまにあります。
オカリナを拡めるはずのイベントがオカリナ愛好者以外を寄せ付けない空気になってしまうと愛好者以外の人に取っては「気持ち悪い」とか「宗教っぽい」とか思ってしまい本末転倒になります。
もっと「外側を見たほうがいい」と思います。
僕も経済的になんとかなる範囲でしかイベントに出られませんが、時々参加します。
それは今書いたみたいな事を音で示して行きたいと思ってのことです。
しかし、実際には僕に対して「あの人はうちらとは違う」となってしまうと、何のためにイベントに加わっているのですか?と疑問になります。いろんな人がいろんなスタンスで演奏して盛り上げて行ったほうが良いのではないかと思いますし。
オフ会ならともかく、ちゃんとしたホールを押さえて一般客を呼ぶイベントなのですから、やはりひとりひとりがもう少し外側を見たほうがいいと思うのです。

もちろん、イベントを主催する側は僕の言ってる事を分かっている場合が多いと思います。


決して技術的な事を言っているのではないし、敷居を高くせよと言っているのではありません。
むしろ今の現状はオカリナ愛好者以外の人から敷居が高く見えていると思います(語弊はありますが)。

一般にはクラシックの世界やジャズの世界というのは、昔から敷居を高くしてる傾向はあります。
こちらは一般客に対する敷居ではなく、演奏者に対する敷居ですが。

そしてオカリナのイベントの場合は、演奏者に対する敷居はほとんど無いのは一見良いのですが、【人前で表現する意識が薄い】ように思われます(技術の話ではなく、意識の事を言ってます)。

それと【一緒に行動してはいるけど、心と心があまり繋がっておらず「一緒に良いものを作って行こうよ」みたいなものが感じられない】ようにみえてしまうのは僕だけでしょうか。
つまり群にはなっているけど、実際には【お互いに信頼を寄せていない】ようにみえてしまいます。群の中にいないと仲間はずれになるのが不安という風な空気感を感じる。
それが僕の【気のせい】であればいいのですが…

そういう波動が、やはり外側から見ると微妙に気持ち悪いものに見えてしまうのだと思います。

集団の気持ち悪さはオカリナに限ったことではなく三線とギターをチャンプルーした楽器の「一五一会」とか、「新しいブーム」にはある程度付き物だと想定内ではあります。

宗教をはじめとして「外側」を見ないで「内輪」だけをみてると気が付かなくなってしまうんです。
だからこそ上手にコミュニケーションしながらよくないところを少しずつ改善できればと思っています。

でもそういうバランスの良い活動が決して僕は得意では無いし、無理に変えるのはまた違うものになるので、僕は僕のスタンスをマイペースでやっていくのが一番効果があるのかもしれません。




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