サックス野郎❷《 自分史[30]》 | オカハセのブログ

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テナーサックスを持って放浪してたのは、バブルの絶頂期。
実はこの頃は、僕はかなり調子に乗っている生意気な若僧でした(24歳くらい~28歳くらいなので「生意気な若僧というには歳を重ね過ぎてますが、笑)。

僕の中では充実した日々とその頃は思っていたのですが、今から思い出すと薄っぺらい上っ面で中身のあまりない日々だったような気がしてきます。
もちろん無駄な事や意味のない事はなかったとは思いますが、自分の人生の中で一番記憶が曖昧なのがこの時期(そういう理由で自分史が最近書けなかった)というのがこの事を象徴している気がします。


そしてバブルがはじけた後(サックス野郎のあと)は、これまた今までの自分史のように記憶がしっかりしているのです。

今回は記憶を頼りにざっとかけ足で書いてみます。




サックス野郎の時期には青森市のねぶた祭りも行かなくなっていました。

正月は浅草の雷門ではなく、主に名古屋の熱田神宮の辺りにほぼ毎年来てサックスを吹いていました。

この頃回っていた地域は主に西日本でした。

長く滞在したのは「神戸市」「徳島市」「高松市」「高知市」「宇和島市(何故か松山市ではない、笑)」「福岡市」「熊本市」「宮崎市」「鹿児島市」。
特に九州の各都市は、それぞれかなり長く滞在した。その中でも福岡市は長かった。
熊本市も長かったな。
長崎市はサックス野郎の時期ではなく、それよりもずっと後(10年後くらい)の放浪までは行った事がなかった。

九州を離れる前、宮崎市の南部の山間にある「加江田渓谷」の「ねむの木キャンプ場」というところに1ヶ月ほど滞在して「文字通りの山に籠るサックス修行」をした(ねむの木キャンプ場は、今はもう閉鎖しているらしい)。
因みにその少し前の台風影響で、遊歩道からキャンプ場に渡る橋が崩壊してました(笑)ので、石を伝って渡りました(大雨降ると渡れなくなるけど、笑)。
おかげで1ヶ月の間キャンプ場内で、人に出会ったのはたった1回。その人は遊歩道ではなく登山道を歩いていたので橋を渡る必要がなかったのです。
練習環境には申し分ないのですが(笑)余りにも淋しいので、4~5日に1回は石を渡って遊歩道に戻り往復3~4時間かけて青島付近まで歩き(買い出しもあるし)
安物の牛肉を買い(宮崎だから安いのか、それともまだ狂牛病問題が起きるずっと前なので安いのか?)キャンプ場に戻り、焚き火してひとりバーベキューを堪能した(笑)。
それ以外は夜も寝る直前までサックスを練習した。
夜は僕のつけたローソク以外は闇の中、蛍が見れる。
贅沢☆

そして宮崎市で知り合って、キャンプ場行く直前まで居候していたベース弾きとその奥さんのふたりに見送られながらフェリーで川崎行きに乗った(このフェリーも今はない)。
船の別れって感動的なんですね(笑)。

次回でサックス野郎は終わります。
自分史はまだまだ続きます。








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