デリカシーの無いポジティブな輩 | オカハセのブログ

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引き寄せとか、単純に「本人が心から望む事が起きる」と括って考える今のスピリチュアルブームには、実は物申したい事があります。

スピが只の現実逃避になってる人も多いですね。
誤解を避けず言えば、現実逃避自体は時にむしろ必要とすら思うけど、なんと言うか本人はポジティブシンキングしてるつもりでも、結局【自分の心に嘘をついて前向きな事しか言わない】というのはやはり違和感を感じます。
あと、悩んでいる人間に対して、スピで「お勉強」した受け売りのウンチクを語り「上から目線」でデリカシーと労わる心が欠けてる方も多いです。そういう方に対しては【スピを学んで真実を知る?まえに人としての道徳心を学んでください】という気持ちになります。
例えば普通に特にスピリチュアルに興味ない人が、困っている人に対して「大変なんだねぇ、苦しいと思います」と優しい言葉をかけることが出来るのに、ステレオスピ人は「それはあなたが引き寄せています。それをやめれば幸せになれます」と言ったり…
そんなことを鬱病の人が言われれば「自分はダメな人間だ!」と尚更傷つくことになりかねないのにです。。
僕はそういうスピ人間を【デリカシーの無いポジティブな人達】と呼びます。
スピで【世知辛い】コミュニケーションになるなら本末転倒になると思うのです。
誤解の無いように言いますが僕はスピリチュアルを否定している訳ではなく【ブームというのは暴走する人達が多い】ということを言いたいのです。

僕は、好きなジャズとかもそうですが、本質からずれて表面的な浅いところで特権意識をふりかざす輩が好きくないのです。

音楽でも、例えばクラシックやジャズになると、専門的な分野なため、「気持ち悪るううっ」て評価したくなる輩が少なくありません。
「何故に専門家になったのか?」最初は好きが高じてなったのに、いつの間にか足元が見えなくなって、部外者から見ると「それ、おかしくね!」という事に気がつかない。

部外者のほうが「冷静にちゃんと見えてる」なら専門家の意味ないじゃ~ん




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