「ノルウェイの森」下、より❶ | オカハセのブログ

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「ノルウェイの森」村上春樹


ドイツ語の授業が終わると我々はバスに乗って新宿の町に出て、紀伊国屋の裏手の地下にあるDUGに入ってウォッカ • トニックを二杯ずつ飲んだ。
「ときどきここに来るのよ、昼間にお酒飲んでもやましい感じしないから」と彼女は言った。   ~略~
「ねえ、どうしてそんなにぼんやりしてるの?もう一度訊くけど」
「たぶん世界にまだうまく馴染めてないんだよ」と僕は少し考えてから言った。「ここがなんだか本当の世界じゃないような気がするんだ。人々もまわりの風景もなんだか本当じゃないみたいに思える」   ~略~
「でもこの前の日曜日は、私すごくホッとしたのよ。あなたと二人で物干し場に上って火事を眺めて、お酒飲んで、唄を唄って。あんなにホッとしたの本当に久しぶりだったわよ。だってみんな私にいろんなものを押しつけるんだもの。顔をあわせればああだこうだってね。少なくともあなたは私に何も押しつけないわよ」
「何かを押しつけるほど君のことをまだよく知らないんだよ」
「じゃあ私のことをもっとよく知ったら、あなたもやはり私にいろんなものを押しつけくる?他の人と同じように」
「そうする可能性はあるだろうね」と僕は言った。「現実の世界では人はみんないろんなものを押しつけあって生きているから」
「でもあなたはそういうことしないと思うな。なんとなくわかるのよ、そういうのが。押しつけたり押しつけられたりすることに関しては私はちょっとした権威だから。あなたはそういうタイプではないし、だから私はあなたと一緒にいると落ちつけるのよ。ねえ知ってる?世の中にはいろんなものを押しつけたり押しつけられたりするのが好きな人ってけっこう沢山いるのよ。そして押しつけた、押しつけられたってわいわい騒いでるの。そういうのが好きなのよ。でも私はそんなの好きじゃないわ。やらなきゃ仕方ないからやってるのよ」   ~略~
僕はウェイターを呼んで四杯めを注文した。おかわりが来るまでは緑はカウンターに頬杖をついていた。僕は黙ってセロニアス • モンクの弾く『ハニサックルローズ』を聴いていた。店の中には他に五、六人の客がいたが酒を飲んでいるのは我々だけだった。コーヒーの香ばしい香りがうす暗い店内に午後の親密な空気をつくり出していた。




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