オカリナ遍路[14]同行二人 | オカハセのブログ

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久しぶりのオカリナ遍路記事です。

遍路記事を書くにあたって、久しぶりに般若心経を唱えてみた。
…あー見事に忘れてる…
じゃフリガナを振っていない経本を読んでみた。
…あーところどころの漢字が読めない…
いかんですね…
読者さんは別にいかんとは思わないでしょうが(笑)、これは僕にとって、般若心経を唱える唱えない以上の大事な理由があるのです。
四国を離れて月日が経つに従い【四国遍路の道中で味わった「辛さ」「癒し」「怒り」「悲しみ」「孤独感」「破滅的な衝動」「投げ出したい気持ち」そして山奥の札所でオカリナで「遍路道」を吹いた時の不思議なトランス感や般若心経を唱えている時にたまに感じる「満たされるような気持ち良さ」、そういったものを忘れるというすごくもったいない現状】なのです。
自分の大事な曲「遍路道」が生まれた場所にもかかわらず、「遍路道」をしょっちゅう演奏しているにもかかわらず、ここに来て僕は遍路そのものの記憶を脇に置いて演奏しているのではないかと今気づいたのです。
般若心経を覚えているかいないかそのものも、もちろん僕自身にとっては大事な事ではあります。しかし僕にとって本当に大事なのは、
般若心経を唱える事は結局【忘れていた四国のあらゆることや「遍路道」を作った時のリアルを「本来の意味に戻す」という入り口】なのです

ホンヤミカコさんは現在「高知県四万十市(旧、中村市)在住です。四国遍路の感覚を忘れたく無かったのではないかと想像しています。

タイトルの「同行二人」は「どうぎょうににん」と読みます。
この意味は【遍路の道中は、お大師さん(弘法大師=空海)と常に共に歩いている。決して1人ではない】という感じかな?

僕にとっては、本当は人生そのものが【四国に居てなくても遍路】であり、そしてお大師さんと常に同行二人して行ける筈なのではないかと思っています。

こういった話は証拠も根拠も無い事なので、自分の心が納得するかしないかの問題なのだとは思います。

根拠の無い事を信じることができるのは【酷く心が弱っている時】か、或いは【気持ちがかなりのポジティブで強い心の時】かのどちらかなのかもしれません。


オカリナ遍路[15]


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