先日、Nと釣りに行った。

 Nは二年程前に小菅の冬季釣場でテンカラの愉しみを知ってしまったのだけど、その後はそれ程釣りには行けていない。

 里川で何匹か豆を釣ったみたいだけど、自分との釣行ではボウズ続き。

 そう言う自分も釣れていない。

 この日もまた二人してボウズか?と思いきや、Nがなんとか一匹釣ってくれて、これはホントに嬉しかった。ホットした。


 それにしても先日までの高活性はなんだったのだろう?と思うほど、釣れない。

 自分が釣れないなんてのは慣れっこだからそれ程気にもしないのだけど、釣りだって誰かとその愉しみを共有出来てこそイッパシの遊びとして成立するのだから、(一人遊びも楽しいけれど)誰かをツレてってツレないってのは本当にツレぇ。

 気になって後日再度同じ場所に真昼間から入ってみた。水量も落ち着き、コンディションは申し分ないのに、全く釣れない。時々マメが走るだけ。



 うーん....


 時間だけが過ぎて行く。



 随分日が長くなったけど、谷底の日没は早い。

 どうしてそんな現象が起こるのか、そんな事は誰にも再現できないと思うのだけど、まだまだ空は青いのに沢はうっすらと黄金色に染まり始めた。

 そして、このストーリーの自分が思う最良の結末は、彼女が科学界の常識なんて糞食らえと言わんばかりに職人技で見事に再現させて見せて、そしてそんな事は始めからなかった事なのかもしれないし、今後も有り得ない事かもしれないけれど、浮き上がるノーベル賞の話をキッパリと辞退する、という事だ。

 この技術は確かに多くの人を助ける事になるのかもしれないけど、多くの最先端技術がそうである様に、時にそれは人を不幸にする可能性だってあることを誰もが忘れてはならないと思う。

 そして、論文やノートの体裁なんかより、もう誰も食いつかなくなった彼女の割烹着にこそ、見出すべき事があったりするんじゃないかと思ったりもするのだけど、そんなことはともかく、最盛期にはウヨウヨ魚が泳いでる淵に毛鉤を落として見た。


 何処から出て来たのか解らなかったけど、良い型がスーっと浮いて来て毛鉤をツツいた。

 突然の出来事にビックリ早合わせしてしまったけれど、仮に遅合わせでも掛けられなかったと思う。

 ココの魚は、流心脇とか、適度に毛鉤を揉んでくれる流れの中では素直に咥えてくれるのだけれど、ちょっと緩い流れだと、タイテイ毛鉤の匂いを嗅ぐような仕草をして見切るのだ。

 だからそんな流れでは小さく毛鉤を動かして、毛鉤を極力見せない様にするのだけど、かといってあんまりアピールが強すぎても出方が荒くなって掛けられない。

 その辺の加減とか、それ以前に多分毛鉤の放り方がヘタクソ過ぎるのが釣れない一因だと思うのだけれど、それでも黄昏時の沢はさっきまでの無活性がウソの様に一変した。

 此処ぞというポイントでは必ずヤマメが飛びだし、その半分程だけど、ソコソコの型も含め、自分にしては良い釣りになったと思う。ホンの一時間程だけど、黄金色の黄昏時だった。





 さて、話は変わって、危険というのは、冷汗をかく高巻きでもなく、集中力をマックスにして登る滝でもなく、もっと身近な所にあった。



 え”え”え”ー先生!!!!

 捻挫じゃないの?


 骨折?入院??手術???

 ソコをなんとか、なんかあるでしょ?

 塗るだけで治るヤツ。

 IPS軟膏とかSTAP軟膏とか.......







 シバラく釣り、オヤスミします......