世間では遷宮の話題でまっさかり。
大勢の人が詰めかけています。


しかし我が家では、秋に何処に出かけよう、なんて話しは登らず病院通いです。
私も午前や昼過ぎから毎日ミッチーのリハビリ病院に通い、夕方帰って晩ご飯の支度。
とっくんが会社から帰ってから、また一緒に車で病院へ。
面会終了時間までミッチーのそばに居ます。
最近は私が熱が下がらなくなってしまって夜は家に居させてもらってましたが、
また土日はミッチーと過ごしています。


今週ミッチーは外出許可をもらい、久々に自宅に帰り、自分のベッドで一時休息してダックスフントのチャーコとたわむれ。
それから美容院で(車椅子でそのまま鏡の前でカットしてくれる便利な店をやっと見つけました、)
染めとカットをしてもらい、若々しくイメチェンしてもらいました。
剛力あやめカットにして、と美容院さんにお願いしましたが、バッチリ似合っております。
全国のおばあちゃん達にはおススメのカットですよ(笑)


とっくんは毎日毎日会社から疲れて帰ってきても、欠かさず、ただの一日も休まずミッチーの病院に通っています。
完全看護の病院だし、着替えは私が運んで、お風呂の用意セットも毎回作っているので、とっくんが病院に平日通う必要は全く無いにも関わらず、です。


介護用のストローを毎日新しいペットボトルに付け替え、着替えを運び、顔を拭き、部屋の温度調整に気を配り、ちゃんと病院食を食べられているか、担当のヘルパーさんに確認を取り、話しかけ、布団を治し、でもミッチーから「ありがとう」って言われてるのを私は見た事が無い。
嫁の私にはミッチーは「おおきに」「いつもありがとう」と言ってくれるけど、とっくんには「あたりまえやろ」と思ってるふし有り。
けれど、とっくんも「あたりまえやで」と思ってるふし有り。
なんてスゴい当たり前だろう、といつも思う。
だから「家族」は強い絆なんですね。
私はミッチーからの「ありがとう」をずっと待ってた未熟者です。
言われた時は嬉しかったけど、もう心の奥でねだるまい。


とっくんの弟家族は、今月も伊勢、出雲とイベントに出かけたわけで、私もとっくんに「奥さんを何処かに連れてけや~~」と言うと、「ボクと毎晩出かけてるやん」である。
「今夜は何処に行く?ベネチアに行こうか。」
そう言われると私も、「そうだな~~」となる。
「じゃ、あそこで(新婚旅行で行った場所)待ち合わせな。ゴンドラ一緒に乗ろうな。」
「うむ」
と、手をつないで寝る(爆)


弟家族が伊勢、出雲と一泊や日帰りで一生懸命詣でるのも、色々な理由があるだろう。
けれどとっくんに言わせれば、それが何になるん?と言う気持ちである。
私もそれは本気でちょっとある。
その「ちょっと」は本気のちょっとなのだが。


何しろ弟家族は、とっくんの他の兄弟と比べれば、お墓参りもちゃんと行くし、ミッチーの様子も見に来てくれる。
弟さんは毎晩ミッチーの顔を見に来てくれる。
並以上のことをしている方だとは思う。


けれど、その世間の「並」が、とっくんの辞書には無い。
世間の常識から遠い所で自分の正義を法規に生きてるのがとっくんと言う人なのだ。
最初は驚いたが、どちらが正しいのかと考えるに、ミッチーの柔らかで幸せそうな笑顔を守ってきたとっくんに、私は頭を下げたくなるのだ。

聖書には、家族の必要を顧みずに『神よ神よ』と言っても何も効果はない、と言うような事が書かれている。
実にその通りだと思う。

パワースポット巡りに行く人は何を求めて行くのか知らないが、それは人それぞれだとして、自分の親を十分に幸せにしてるのだろうか。
自分の子供を、奥さんを十分に幸せにしてるのだろうか。
親族に迷惑をかけていないだろうか。
友人に迷惑をかけていないだろうか。
これくらいしてれば世間並だろう、とか、避難される事も無いだろう、とか、そう言う事ではないのだ。

”迷惑ならかけている。
わかっているのだ、
だからそれを解決するためにパワーをもらうために神社に行くのだ”
と言うのならば、それはお門違いと言うものだ。


日頃真面目に働いて家族を大事にして倹約して、そう言う人間が神社に行かなければ、全く意味はない。
家庭が崩壊してるのにパワースポット巡りに必死な人を私も見てきたからだ。
(弟さん一家は家族仲良しですよ!)

こんなこと書いてる私もまだまだなのだ。
まだまだ人間になりきれていない、愚かな嫁さんなので、
「頑張ってるからご褒美にあそこのケーキ食べに連れて行け。」とか思ってる。
ミッチーを大事にしてるとっくんだが、私の事も気が遠くなるほど大事にしてくれている。
そこまでしてくれるか!と感動する。
とっくんの当たり前にはまだまだ遠い。


こないだとっくんに、「とっくんの引き出し掃除したら古いお守りが一杯出てきたよ~。これ神社に返しに行かなきゃならんよ。私も結婚前伊勢と出雲に行ってるし、とっくんに出会えたんだから、お礼参りに行かなくちゃですよ~。」と言うと、

「そんな遠いとこまで行かんと、枚岡さん(地元の神社)で返しといたら、出雲と伊勢に届けてくれるわ~。」ですと。
枚岡さんは石切さんと並んで、我が家から車でちょいの神社である。
「枚岡さんと伊勢や出雲は全然別の神社ではないか~~。」と言ってたのだが、

こないだブログをあちこちウロウロしてたら、何とこの10月10日枚岡神社さんで天岩戸開きがあったと言う。
http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51872411.html
「鶴と亀が統べった時」、『夜明の晩』となり、新しい時代の幕開けがここで行われたのだ。

世界の中心が日本となり、日本の中心が、ここ、ヘソに戻ったのが今年の10月10日、元体育の日、私の命の愛犬「白まつ毛ちゃん」の誕生日と相成ったのでした(笑)


実は私はとっくんと結婚した不思議の一つにここの地理がある。
このエリアはかねてから気になっていた梅鉢天神紋のど真ん中なのだ。
http://blogs.dion.ne.jp/pentacross/archives/10405090.html
結界のど真ん中に嫁ぐんだな~と、少し愉快だった。
それが、まさか伊勢と出雲から枚岡で天の岩戸開きとは。
灯台下暗し、とっくんの言う通り?になってしまった。

とっくんは、パワースポットもアセンションも知らない、世間で言う立派な超B層ですが、ときたま真理をズバッと言います。
この話しをすると得意げに
「だから言うたやろ~。枚岡さんでいいねんて(^^)」だそうです。
あっけらかんと、何も考えてませんw

嫁は伊勢も出雲も当分行けそうもありませんが、枚岡さんに行って来ます。
うちの近所も秋祭りの太鼓台の練習の響きで賑やかです。

って書いちまいましたが、そう、じいさんは今東大阪にお住まいなんだな。



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