今はやりのドンドン捨てる断捨離で、ちょっと一旦考えてみましょう、と言う記事を昔書きました。
断捨離の難しさ 部屋にあるモノは外部記憶装置 
http://ameblo.jp/olibanumoon-1/entry-10742310498.html


二度と買えない良品達 
http://ameblo.jp/olibanumoon-1/entry-10742332178.html


モノへの執着を断つ 
http://ameblo.jp/olibanumoon-1/entry-10742371112.html





今でも当時書いた内容を、全く書き改めるとか、主旨を帰る気持ちはさらさらないのですが、

こう言うブログ「なんにもないブログ」http://nannimonaiblog.blogspot.jp/さんを覗くと

人間はいかにモノに支配されているのか、考え直してみるのもいいかもしれない。

ブログ主さんは東日本大震災で「物が凶器に変わった」とおっしゃっておられる。

大量のものが激震で上から降って来る、…だけではない、横からも降って来るのだ。

そして使えない廃棄物になる。

無駄に溜め込む事の意味を今一度考える機会になると思う。

安いから、「こうなってないと不安」だから、

そう言う動機で安易に買う事を戒めるには

脳天に衝撃を受けるお部屋です。

ちょっと禅寺の宿坊みたい。
http://nannimonaiblog.blogspot.jp/2013/06/blog-post_22.html



彼女は裕福な生活を今は営んでおられるようで。

今ある備品は全て素晴らしいものばかりで、真似するのも出来る事と出来ない事があるようだけど

自分の生活の中で何処かで意識がすりあわせる着地点があって

自分らしい生活とは?と考えるには、いい写真の数々がある。





彼女は若き頃はモノで一杯の家で暮らしていたらしい。
人も招けないほどの汚家(おうち)だったのだ。
そして震災で、きっと頭が真っ白になったと思われる。




家族が居て、猫が居て(かわゆす)、家で仕事するスペースがあれば、後は物が少ない方が、居心地がいいのかもしれない。

本人曰く「変態」だそうだ。

捨てる度に快感を覚える。

快感のトリコになってしまった人間の行き着いた先が、これらの部屋であり、彼女はまだまだ物をなくす中毒にかかっている(悪口ではないつもり)




極端な例だが、こだわりなく後ろ髪も引かれず捨てたっけかがこれならば、

珍百景のような部屋だが麗しい。



色々な断捨離ブログを拝見したが、こちらのブログさんには

迷いも無ければてらいも無い。

置いてるものの趣味もいい。



そして何だかとても居心地が良さそうに見える。

感じるのは、「やけに自由」。




ま、我が家ではもう少し(いやかなり)必要なものが多いんだけど。


私も結婚したおりに、多くのものを(本を始めとして)こちらに持って来るのを諦めた。

とっくんは『全部いいから持っておいで』と言ってくれるのだが、入れる場所が無い。

じゃあ、入れる場所を作ってくれ~~と言うのだが、さながら断捨離の如く選別して持って来た、私の精鋭生活グッズさえ収納に困る始末。

我が家は、私が初めてとっくんの家を訪れたとき「結婚なんか無理無理無理」と思うほど、物で溢れ帰って、ゴミと埃で一杯のおうち(汚家)だったのだ。

キノコの光合成は断捨離ブログではないし、ビフォーアフターも公開出来ないが、
あれから1年、私の(もっととっくんに協力して欲しかったが、待っていても何も始まらないので)努力の甲斐あって、当時の面影は、まだ手をつけていない部屋くらいになってきた。

ああ、人間の住まいになってきたな~~と、最近ニンマリしてるのです。






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