アノ二マスと言う名称がすっかり浸透した。
パソコンをハッキングして政府や企業に抗議する団体と言うイメージだったが、先日はイスラエル国とも一戦を交えたようだ。
このアノ二マスとは、元々掲示板での投稿名『名無し』を意味する。
名前記入欄を無地のまま投稿すると、あちらではアノ二マスAnonymousになるのだ。
彼らは例のひげ面の仮面を付け、どれが誰なのかはわからないままに参加者を増やし続けている。
私もこんな性格なので高度なパソコンのスキルがあれば参加出来たらええな~と思う事もある。
何に参加するかはまた別の話しなのだが。
無力な個人がスキルによる技能の格差で戦えるのもこのIT時代ならではなのだが。


潜在的に私達はアノ二マスなのだよな。
私もキノコと言う名の匿名でブログを書いている。
ちょっと実名では怖くてかけないようなことを書いている。
何より怖いのは、家族への迷惑と言う点だ。
私個人はリアルでも、人生半世紀近くに渡って、『変人』の称号を欲しいままに生きて来たのだから(自慢げ)匿名は家族への配慮と言うわけだ。
そして殆どのブロガーの弱みもここなんでしょうな。。。


そして私がここしばらくブログを書かなくなった理由は

1、ミッチーの介護で忙しい。
2、とっくんがヤキモチを焼く。
3、夢のお告げで、もう書くなと何年も前からストップをかけられてる。
4、他人に分類され、また自分で自分を何処に位置づけるのかに疲れた。
5、もう年だから何か考えるのも億劫だ。


全部正解。
だけど、ここでの問題は4だ。


私はバカなのでブログと言うのは個人が個人の意思で伝えたいことを書いてるとばかり思っていたら、実は個人を装った組織だったり、組織でなくとも組織の末端だったり、個人だったのに取り込まれてしまったり、中の人が入れ替わったりする事があると云う事だ。
アメリカ在住の日本人と言う触れ込みでKCIAなのかもしれないし、見た目は女、頭脳は江戸っ子じいさんと言いつつ、見た目はじいさん、頭脳もやっぱりじいさんなおかもしれないし、見た目はぽっちゃりじいさんかと思いきや、半落ちビジュアル系だったりするかもしれない。
特にブログはアクセス数が増加すると出世魚のように形態を変えて書籍化したなと思ったら、最初から書籍化狙いの仕込みだったりして…(妄想)。



圧倒的な情報力で、90%真実を語り、10%、あるいは1%の毒を盛り込む。
一枚のアノ二マス(匿名)の仮面の奥に無数の謀略があったり、
何処かの国の工作員、何てこともザラにある。
コメント見てると、サクラなのかマジなのか、取り込まれてしまう人もいる。




あなたは右翼なのか、左翼なのか。
原発推進派か反原発か。
じゃ、火力で行くのか自然エネルギーなのか(ま、ウランも石油も自然じゃがな~~)
親米か親中か親韓か。


私は勉強不足で政治音痴なので毎朝新聞読んでる中年のおっさん、とっくんに質問するのだが、そのとっくんのわかりやすい解説でも???である。

おおむね政治の世界はまだるっこしい。
わざとややこしくして、いざと言うときケムに巻けるよう、トラップや煙幕や抜け道を残したまま伏線まで張ったりするので、この辺りを断捨離しろ、といつも思う。


あなたは右ですか、左ですか?
さあ、右手も左手も無かったら不自由で生きて行けない。
原発だけはね、未来のエネルギーだと思うよ。
100年くらい先のね。
子供が一生懸命言い訳して火遊びしてるとしか思えない。
福島で暮らせると言うチェルノブイリでは考えられないこの『違い』の理由はちゃんと解明すべき。
暮らしちゃダメと言うよりも、暮らせる理由の根拠の裏に、燃料棒はあったのか無かったのかが私の気になる点だ。


多くの人が右か左かと言う分類は難しいことと思う。
ここは許せるけどここは我慢出来ない、と言う。
それは組織じゃなくて個人だからだ。
そんなの矛盾してる、と言われても組織の都合ありきで生きてるんじゃない。
むしろそんな風に生きざるを得ない人に同情する。


だから一般人はアノ二マス(匿名)で、気持ちを吐露する。
何処かの誰かから見れば中途半端で、また何処かの誰かから見たら、工作員疑惑だ。


だからアノ二マスが『団体』になってしまう事には危惧を覚える。
仲間の欲しかった個人が居場所を見つけた、それは大きな地引き網かもしれない。
本来自由であるはずのアノ二マスがお揃いの仮面を付け、発言権と社会イメージを持つに着け、束縛の鎖をぐるぐる巻いているようにも見受けられる。
きっと、細かい所までコンセンサスを求められるような形の参加ではない、と言うだろうが、
このスタイルが長期化するにつれ、亜流や分派、ドジョウや暖簾分けが出るのだろう。
派閥争いや権力闘争が起きるのだろう(妄想)



社会はこれからドンドン私達を分類、カテゴライズする。
へー!私ってここに位置するんだ、ってビックリする?
それとも納得?
じゃあその通り生きるのか?
それは無理だ。



名無しのままに、ありのままに。



そしていつか実名のままに発言出来る社会へ。



それこそが新しい開かれた真実の社会のはずだね。





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