人間は毎夜ふたたび目覚められる保証も無いのに眠りにつき、同じ世界に目覚めたと安心しきって一日のスタートを切る。
私は自分の過去記事のタイトルも書いた日付も覚えていないが、人は目覚める度に寝る前の精神状態や条件によって少しずつ違う世界にジャンプしていると思う、と言う記事を書いた事がある。
いわゆるパラレルワールドなのだが、無数に重なった世界の厚みの同じ座標から、新しい朝を迎えられればいいのだが、少しずつずれては大概気付かずにそこで暮らす。
何故ならその変化はそんなに大きなものではないのが普通だからだ。
けれど最近引き寄せの法則や精神世界の開拓に目覚めた人の増加…これは意図された増加であり時期が来たとも言うのだろうが、世界の概念はしっかり固い焼いた陶器のようなものから、役前の柔らかな粘土に移行しつつあるのだ。
なので目の前の人物も少しずつ違うかもしれないし、貴方の生活条件も変化していく、そのジャンプの飛距離を大きく出来る時代だと言えるのかもしれない。
ごたくはここまでで、私は今までに何度か、ああ、飛び過ぎたかな、と思う体験を何度かして来た。
同じ経験をした相手が全く記憶がなかったり、壊したものが元通りになっていたり、常識的に考えられないほどの変化は、それがささやかに見えるものでもかなりジャンプしていると言える。
不可逆的な出来事と言うもののずれは、非常識で、ありえない。どんな小さな現象でもありえないものは大きなジャンプだ。
逆にありえる事、可能な事なら非常に大きな出来事でも人間はジャンプに気付かない。宝くじが当たって大金持ちになっても、人生をジャンプしたとは思わない。
そして人は孤独に死ぬまで一人、おもにささやかなジャンプを繰り返して生きるのだと思っていた。
しかし先日私は、夫のとっくんとジャンプを共有したのだ。
長くなるのでつづきます。