いつか書きたい書きたいと思ってた話題です。
大学では“ジェンダー社会学”のゼミだったし、卒論のテーマは「ピルは女性を解放するか」だったし
ワタシの中ではとてもとても大きな問題で、でも文字に起こすと文章にすると誤解を生むかもしれないし…と迷ってたけれど。
でもやはり自分の中の想いをまとめてみたくって伝えてみたくって書いてみることにします。(長文注意!そしてシリーズ化のにおひ!!)
九州福岡で生まれ育ち、戦前生まれで完全なる亭主関白な父と
それに口ごたえできない母のもとに育ち、
祖父母も完璧な九州男女。
なんだかワタシは男って?女って?みたいなことをよく考える子だったように思う。
第一子であるワタシはそんな九州にいる母のもとに降りてきたゆえ男の子が生まれてくると期待されていたこともあり、
父はワタシのことを“長男のように”かわいがってくれて、男の子の遊びをたくさん教えてもらったり。
そんなこともあり女の子っぽい遊びには興味のなかったワタシ。
3つ年下の妹が天使のようにかわいかったこともあり、あまり女の子らしくなかったワタシは比較されたくないという気持ちもあり、女の子らしい格好もできなくなってボーイッシュでした。
小学校に上がっても、今でこそ珍しくないけど少年サッカー部に入り男の子と戯れる日々
中高は一貫教育の女子校だったけれど中学校はまたまたサッカー部へ。
この辺りから母が嘆きだし
女の子らしくなってほしいからと15歳の頃バレエに強制的に通わされる。
バレエを始めたのが転機!?
サッカーは足の故障で続けられなくなったけど(プロか!)
バレエの世界にハマってしまい(母の思う通り)突然女性らしさとかに目覚める!
でもなんとなく否定したい自分もいたり、思春期ってこともあったり、
そんな頃好きになった人に何度か振られたりして
女である自分に自信が持てなかったのかなぁ?
よくわからないけれど今度は急に芽生えてきた女性性をうまく受け入れられなくて
変な方向に行き出します
どういうことかって言うと、
“ウーマンリブ”な“フェミニスト”的な感じ。
20世紀初頭くらいから欧米で巻き起こったムーブメントがワタシの頭の中で勝手に起こりました
(自分が勝手に女性性を抑圧して急に解放しただけなんですけどね)
とにかくそんなモードに入ってしまって
高校生くらいだったワタシだけど
とかく男女が平等じゃないこととか、
九州男児がえらそう(当時はそれを女性を見下してると勘違いしていた)とかいう思いを強くして、
男に負けないくらい強い女性になりたい!
という想いが強くなってしまったように思う。
背景には母が当時父に抑圧されていたのを目の当たりにしていたり、
それでも自由になれない母の姿やちゃんとした話し合いすら持てない関係性とかそういうのがあったのだけれど。
それって男と女とかの話でなくて、
父と母の人と人との関わり方に問題があると今でこそわかるんだけどなーー
当時は間違いなく、
“こういう(父のような)傍若無人な男性に負けないような(母よりも)強い人になりたい”
とそんな風な思考だけが形成されていったわけです。
そう反面教師。
でも…
反面教師って
それはそれで、生きてく上でのパワーにはなるけれど。
でもやっぱり、
何かに“反して”生きていくということは負のエネルギーを使ってくことだし、
それってすごく力が強いから必要以上にパワーを持ってて
だから、本来は“ここまで”でいいことも必要以上に固執しちゃって必要のないことまでやっちゃったり、
変な方向にいったり止められなかったり。
自分の思う通りに使いこなせない力を持ってる。
だからやっぱり、反面教師という考え方は自然じゃないなぁって、
今は思うな。
思春期くらいからは父や母のことを、
もちろん全てではないけれど反面教師にしていて、
“自分は違うように生きる!”って生きてきた気がする、振り返ってみると。
まぁでも、反面教師って
“こうなりたくない!”って“こう”を意識しまくっちゃってるから結局思考の中に“こう”が強烈に残っちゃってて
知らず識らずのうちに“そう”なっちゃうんですけどね
で、気がついたら似たくなかった嫌なところが一番似てるという!皮肉!
ありり
反面教師の話広げすぎましたね(;^_^A
とにかく、
ワタシの場合両親を反面教師にすることで
どんどんどんどん“ジェンダー”というか
“女らしさ”とかそういうものまで否定してゆくことになる訳です。
否定していった結果…
逆に“女”であることを意識しまくることになる訳ですけど、話が長くなってきたので①はこの辺で。
さてと現実に意識を戻してっと
今日でムスコは1歳11ヶ月。
2歳まであとひと月
Many thanks