こちらの続き、というかちょっと番外編です

「母」という壁との対峙④罪悪感と不安のザワザワオエオエ祭り。 

/oliellie/entry-12125476045.html




④の後どうなったかは次回に書くことにしまして…




⓪として、
そもそもなぜ今このテーマ、

「母」という壁との対峙

と向き合おうと思ったのかを書いてみたいと思います。





わたし“今ここ”でシアワセです。




ただしこれからもっともっとそのシアワセ広げられることを(しかも今までの比じゃない広がりとスピードで)自分に許したから、これからもっとシアワセになるんですけどチューラブラブ





でも今日、今死んだら一つだけ後悔するって思ったことが「母とのこと」だった


という訳です。





…あれ?終わっちゃった?







いやもちっと書こう。


わたしの愛する近しい人たちの中で、

母に対してだけ

わたしは

全く自分の伝えたいことを伝えていない
自分自身でいられてない


って気づいてしまったんです。



だから今日、今死んだら
このことは、実現度0に近いからものすごーーーく後悔するって思ったの。



そうしたら、
もう“見せかけ仲良し親子”も“いい娘仮面”も
なんだか本当に嘘っぽくて、


そんな風に振る舞うことが気持ち悪くなってできなくなって、



やっぱり、
見ないようにしてきたものを見るしかない


いやむしろ、
もうそれを見たい、もう嘘をつきたくない、
本当は気づいてほしい



とわたしの中の声が叫んでた。




からの、
今、です。



そう、逆に死んでしまったら
わたしは母で、母はわたしで
ひとつの存在だから、



わたしがこんな風に苦しんでたこととかも一瞬で分かり合えるわけで。




そう考えると
向き合うことにして
どんだけ生きてる間に対立したとしても
結局大丈夫ってなんだか安心だし


何よりどうせ分かり合えちゃうなら
その前に、生きてる間にできること
思いっきりしておきたい!!!



母に対する恨み辛みも思い出して

その奥にある、
すごく不安だった気持ちもさみしかった気持ちもちゃーんと思い出して


そこを自分でしっかり見つめて認めることから
わたし本当に自立できるんだと思ったし、


母に気を使ってわたしがわたしでいられなくて、シアワセ純度を下げてるとしたら


それって究極の親不孝じゃね?


(今の母の顕在意識では、母の思う通りの幸せを手に入れていないわたしは不幸と思われてるけど)


って心底思った訳です。




だから、40になったいい歳のわたしが

今さらあがいてます。



実際苦しいです。

むしろ母にいい顔して流された方がいっそ楽じゃね?

って思う波が何度もやってきます波波波




デモ!


やっぱりそれよりももう


自分に嘘をつく方が苦しい。




自分に嘘をついてのらりくらりする方が
もう何倍も何万倍も何千倍ももっともっと辛いし、


何より自分に失礼だ。




生まれてきた自分に。

そして、産んでくれた母に。



だからわたしは貪欲に自分のシアワセのために、



あえて母との関係をひとつずつ明らめめ(認識して)
その奥に隠していた感情とも向き合って、



母に迎合することなく
悪いと思うことなく


わたし自身でいることを決めたのです。



そしてそれは、
いつか絶対母に伝わると信じている。
(死んだ後かもしれないけどね)




大人になって、
初めて母に大きく反抗したことがあったけれど(アダルトチルドレンと気づいた22くらいのころ)


自分の本当の感情を見つけちゃうのがこわくて
自分と向き合えなくて結局掘れなかった。



だから母に対しても、

なんとかわたしの思いを理解させようと、
要は「ごめんね」を言わせようとコントロールしてたから全く伝わらなかったし



反抗したことにただただ罪悪感ばかりを感じてしまって結果体を壊して鬱寸前だった。
(まぁこれは当時元ダンナからのDVもあった時期だったのもあるのだけど)




だから。
向かう方向は外ではなくて内。
わたしに集中。




この意味が今本当にわかるのです。





というわけで「母」という壁との対峙。



これからもどうなるか見守っててください。

そして同じように感じてる方がいたらぜひ一緒に向かって行きませんか、自分に。





追伸。

母という壁は、
実は本当の壁ではなくて、
わたしが作り上げた虚像なんだということにも気づいてるんだけどネ。



Many thanks