日本という風土に生まれたから、日本人なのか。
日本語を話すから、日本人になったのか。
右脳の発達は一定の年代まで日本語で育てられたことにより賢著に見られる現象である、という角田忠信教授の研究の「日本人の脳」がある。
日本に生まれ、日本語で育った日本人が、海外へ移住した場合どのような経過をたどるのか?
興味深い課題である。
二世世代は、親がまだ日本人なので日本の影響は強いはずである。
三世、四世、五世と経過するに従い、だんだん日本語とも疎遠になり、現地の習慣に溶け込み日本人らしさがなくなってくるようだ。
海外生活において日本人との接触を持たなければなおさらである。
風土と言語は民族の特徴を形成するうえで計りしれないものを持つ。
植物は、F1品種は別として同じ種子を撒いても育つ土地の影響をもろに受けるのがわかる。
同じ品種でも産地によって形態が様変わりしているのは、植物ゆえにその土地の持つエネルギーに依存しているからだと考える。
そして日本人の特徴として特記すべきことは、日本人が移住したらその土地の人間になろうとすることである。
もちろん、全部が全部とは言わない。
ハワイ移民に始まる、日系アメリカ人の様子をみてそれを確信する出来事があった。
日本との開戦が始まるというとき、
日系一世は日本人であるが日系二世は、アメリカで生まれアメリカ国籍を持つアメリカ人である。
アメリカ人であるのに、親が日本人というだけでアメリカ人として認められない。
ゆえに、アメリカに住んで、アメリカ国籍をもっていたとしても敵人である。
ナントカ、カントカ。
何かの問答のように聞こえる。
問題が生じれば、屁理屈で以て言い替えできるのが左脳社会の特徴である。
時の総理大臣東条英機は、アメリカの日系二世が米軍部隊に所属し日本と合いまみえるかもしれない恐れが出てきたとき、はっきりこういった。
「日系2世は祖国アメリカに忠誠を尽くせ!」
参考:
東条英機首相の手紙「日系2世は祖国アメリカに忠誠を尽くせ!」(2010.10.12)
http://neyama.blog31.fc2.com/blog-entry-1607.html
私は、「言葉というものは、両面ある」といつも考えているので、東条英機首相の心裏はわからない。
それでも、彼の口からは日本人として当然のことが言われたまでである、と考える。
そして、442部隊の活躍からこの言葉によけい重みが加わり感動が倍増してしまう。
もし、このような結果にならなかった場合、別の評価が下されるだろう。
いつでも時代をつらぬき流れる真理が顔を出すものだ。
人殺しの戦争は悪いに決まっている。
戦争で一儲けを企む「死の商人」が暗躍している。
この連中は、命の危険に遭遇することは絶対ない。
安定した生活を求め普通に生きていても、まきこまれる一般庶民はいい迷惑である。
などと安穏とした時代のような流暢なことは言ってられない。
それでも時代の流れで戦争を受け入れなければならないならば、如何なる態度をとるべきか。
力及ばず、戦争に突入した場合、なんのために戦わなければならないのか。
まさしく、私の祖父母、両親、日系人の生きた時代は、そのような渦中であったのだ。
日本人はどうしてこういう考え方をするのか。
いつからこういう考え方をしているのか。
これもまた、興味深い課題である。◆