のぼうの城 | akazukinのブログ

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「日本史のいわゆる「非常時」における「抵抗の精神」とは真理追求の精神、科学的精神に他ならない」野々村一雄(満鉄調査部員)

野村萬斎主演の「のぼうの城」が封切られて、一週間くらいたって観に行った。


なんかこう、愉快な気持ちに浸りたい気分だったので、戦国時代のはなしのようだが宣伝を見るかぎりぴったりの作品だと思った。


時代劇も現代から見ればファンタジーの世界である。


最近のより過激な描写が横行する中、これも惨殺シーンはリアリティに描写されてはいるものの、筋書きはといえばこれまでの英雄伝のような戦国時代ものとは違っている。


ここでは、その英雄たちが、責める側で苦戦している構図である。


どこまで、史実なのかと疑問に思い原作はないかと探した。


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「水の城―いまだ落城せず」

風野真知男著(祥伝社文庫、新装版、平成20年)


映画を見て、原作を読むことは私にとって珍しい。


原作と違うところをあら捜しをしてしまいそうだが、とにかくこれに関しては、脚色されたとしても、それはそれでどちらも楽しく鑑賞できたし読後感もいい。


読みながら映像の場面を思い出したり、映画で説明不足なところを本で詳しく時代背景を理解し、逆に双方の足りない部分を補うような相乗効果があった。


これは、武力による血で血を洗う力の攻防ではなく、それぞれの心理戦も勝敗にかかわっている。


本による最後の大詰め、


秀吉からの使者、成田家家臣松岡石見が石田三成陣営の条件を持って、成田長親(なりたながちか)を城代とする忍城へ城の明け渡し交渉で入った際の松岡の想いがつづられている。


以下引用。


松岡石見は櫓の上から改めてこの城全体を見渡した。
確かに構えは仰々しくもなければ実際、堅固でもない。
入り口がすべて沼のような深田に囲まれた細道になっているため、攻める側はなかなか突破できないことはわかる。


加えて、石田治部少輔(三成)はここを水攻めにしようとした。 戦略はまちがいではなかったのだろうが、失敗したために足元は悪くなるし、田はさらに深くなるしで、ますます攻めにくくしてしまったらしい。


だが、城というのは、外から見えるだけのものではない。 内側からも崩されることがままある。

すなわち、内部で裏切り者が相次いだり、派閥争いが起こったりして結束と防衛力を失っていくのだが、この城はそうした気配すらなかったらしい。


―いったい、(成田)長親はどのようにして、内部をひとつにまとめ上げて来たのか。 それこそ、この城が落ちなかった最大の理由ではないのか。

(『水の城』344~345頁)



成田長親は、その後歴史上華々しく登場することもなく、まして現代において、ほとんど知る機会のない武人であっただろう。


使者として送られた松岡に対する長親の返答は、この後に及んでも動じない。



「…城に籠って応戦したのは、武士として当たり前のことをしただけではないかと思ってのう。 それを恨みに思われるなど、おかしなことではあるまいかな」(同、340頁)


しばらくやりとりし、最後にさらりと言った。


「われら、餓死よりも戦死を望む者」(同、342頁)


忍城は、片田舎の城ということでそれほど重要視されていなかったことを見越しての発言であって、本当にこういうことを言ったのかどうか小説だからということもあるが、攻略されなかったのは史実として残っている。


解説の文芸評論家菊池仁(めぐみ)氏は、


…戦国時代は日本における稀有の激動期であった。 享徳(きょうとく)三年(1454)から大阪落城の元和(げんな)元年(1615)までの一六〇年余はまさに大転換の時代で、生き残りをかけた戦いの連続の中でそれまでの権威や秩序は否定され、激しく流動する社会は、多くの魅力的で個性豊かな人物を生んだ。 (中略)これらを総称して戦国物というわけだが、その反面、無味乾燥な合戦物や、やたらに教条的な指導者論を中核にすえた作品が量産されてきたのも確かな事実である。


(中略)


つまり、それが弱肉強食の時代であったとしても、いや、だからこそ、弱者側(本文の中で使用されている表現を用いれば“田舎者”であろう)には弱者だけがもつたくましさや、生活していることの明るさがあったのであろうという認識に発展していくのである。
(同、365~366頁)




なんか妙なタイミングで現代の殺伐とした世に舞い戻ってきたようなお人柄である。


まっ、それでもいいではないか。


と長親をみならいたい気分にさせる。◆