このブログの更新を終了するにあたり、
この場を与えてくださった石井一昌氏。
賛同して寄稿していただいた方々。
そしてなにより、精力的な情報の収集と惜しみなく知識を公開された太田龍に感謝をのべたい。
太田龍は「ありがとう」という言葉をめったに使わない方だったが、言われたときは、なんともかけがえのないものに感じた。
日本人のように感謝の念が日常的にもっている人々は、言われなくてもわかる。
イルミナティのマインド・コントロールで長年苦しまれたブライス・テイラー。(これは人形の名前をニックネームにつけられたかもしれない)
感謝を知らなかった人がひとたび知ったら、ものすごい力となるだろう。
しかし、感謝は要求するものではない。
イルミナティの偽善的態度に心から感謝できるだろうか。
神を崇拝せよと指示され、心からできるだろうか。
イルミナティがこの物質文明をもたらしたのだから感謝しろといわれても、それを存在せしめているのは私たち人間のおかげなのである。
感謝されるのは私たちでもある。
お互いさまなことに、一方的に感謝を捧げる必要はない。
イルミナティとは何か……という疑問から、太田龍について勉強を始めた。
発展途上国に協力して貢献したいと考えても、その社会制度、政治のしくみから意に応えられない現状がもどかしく思った時期であった。
イルミナティのやってきた数々の悪行を並べるだけでは、変態小説や同人誌にネタを提供するようなもので解決には至らない。
そもそも、イルミナティをこの宇宙の進化過程に現われた人間と相反する、感動の精神を持たないいきものである…と仮定するなら、
その目的とは何なのだろう。
それらの計画した世界で連中に奉仕する奴隷たるべき人間の未来、
でしかない。
このような世界は生成発展するのだろうか。
するわけがない。
連中が作ったシステムに加担した人類もろとも自滅するしかない。
自滅することを知っててイルミナティはやろうとするのか。
それが、イルミナティという特質ならばそうなのだろう。
人間とは何か。
イルミナティと比較してみるなら、正統な宇宙進化の過程において、次に生じる文化のために現われた存在である。
ゆえに、イルミナティは人間を侮辱し、虐げ、みじめにさせている。
人間は、侮辱され、虐げられ、みじめにされても打ち勝つ力がある。
そのような人間は、他より精神的に向上し指針となるべく現れる。
太田龍が見出した人々のみならず、いたるところに輩出しそれぞれの心の赴くまま活動を続ける。
ジル・ボルト・テイラー
脳いっ血を発病し奇跡の生還をした脳神経学者。
人間はエネルギーをもつ生命体であることを身をもって体験し、報告するために還ってきた。
トム・ブラウン・ジュニア
いかなる文明に接触しないで現代まで生き延びた古来伝統のインディアンの生き方を伝承された白人。
などなど。
宇宙の一元より生じた純粋な地球原住民の自然と共に生きる高度な精神文化に対し、歴史に残してきた文明の遺跡や痕跡とは何ゆえ生じたのか。
物質文明、悪魔崇拝のイルミナティが介入した結果であるといえるのではないか。
日本は、天之御中主之命の存在を認めたが八百万の神々を突出させ、本質の影を薄れさせているようにもみえる。
しかし、根底に流れている精神性は流入する文化を適宜取り入れ独自の文化を形成し掟や伝統として伝承される。
これはイルミナティの意向とは別の文化が形成された…と思っている。
幕末明治維新以降、イルミナティ西洋文明が直接流入し今日に至っているがために、日本民族がどこまで耐えられるか、反転できるかという瀬戸際においこまれている、
かのようだ。
天皇制は幕末明治維新、西洋風にならって作られたものだ。
イルミナティを認識するかしないか、もしくは人間の根源を認識するかしないかの分かれ道に来ている。
私はそのようなことを太田龍を通して理解した。
太田龍は別のことを考えていたかもしれない。
その次の展開は、それぞれに託されている。
ということで、「ootadoragonsato」でのブログの更新は終了します。
お付き合いくださり、ありがとうございました。
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