私たちの本質は違いあると言うこと

 

 

みんな同じは奴隷道徳

byニーチェ

 

 

 

そうなんだよね

 

 

 

まず子供の頃のいろんなものが出てきて

 

 

忘れてた事をものすごい量思い出した

 

私本当に小学生の時特に1、2年生

 

すごくのんびり。ゆっくり

時間内に終わらない

 

従わず・・・

やる気なく・・・

 

すぐに飽きる

 

 

でも自分が楽しいことはすごい集中して

ものすごく丁寧な仕上がりだったらしい。笑

 

 

今だったら絶対問題有りの子供だよね

 

 ゴロゴロ問題ありなまちーこです!


きっとママはいろんな横文字や

アルファベット言われて

パニックだっただろうね!笑

 

 

1.2年生の頃の先生は有名な厳しい先生だったらしいけど

結構なダメ出し書いてあって

 

これ本人に自覚あったら凹む!

確実に自信喪失、自己肯定感を下げられてたと思う

わからなくて、おバカで良かった!笑笑

 

 

 

それで思い出したのが

 

 

学校でこれしなさいって言われれ

いつも「なんで?」って思ってた

 

 

「どうして?」「なんで?」

 

それを明確に答えてくれる大人はいなかったし

 

「みんなしてるから」

「みんなでやるのよ」

 

 

そうか・・・よくわからないけど

みんなで一緒にするんだ

 

同じにしてたらいいのか。って気持ちになった

 

 

でも・・・

 

 

 

やっぱりそれって本当の私らしさではないから

 

 

 

どこかで歪みが生まれる

 

 

 

 

 

それを先に察知した両親が私学に行かせてくれたんだと思う

 

 

自由に生きられるように、

 

 

でも自由は自己責任を伴うことも

 

 

 

私の周りは人と違う友達が多い

 

 

二十歳を超えて結婚適齢期なんて

世間で言われる年齢を過ぎても

慌てて結婚する子もいなかったし・・・

 

 

 

 

いまだに独身で自由にしてる子も多い

 

 

 

普通に一般的な子もいるけど

 

私も二十歳で起業したり

都会育ちでいきなり島に行ったり

 

 

アフリカと以外なら

どこでも生きられると思ってた

 

 

アフリカNGなのは・・・きっと

見たことなのない虫がいそうだから。

それだけ笑

 

 

違うことに怖さはない

むしろ面白そう

人と違うことは嬉しいこと

 

 

でも・・・

 

今回、もうひとつ

 

 

わかったつもりでできてなかったのが

 

 

その「他人との違いを肯定」すること

 

 

良いことは肯定してたつもりだけど

 

 

一番身近にいる存在の人の違い

 

なんでそうなんだろう?

なんでいつも怒ってるんだろう?

なんでそんな考えなんだろう?

 

 

過ごす時間が長くなるほど

 

 

自分との違いを否定しはじめたの

 

 

でも・・・

 

 

違いがあってあたりまえ

人を変えることはできない

 

 

違いを肯定した上で

自分の意見は伝える。

 

 

当たり前のことだけど

 

自分の形は変えない

相手も変えようとしない

 

 

違うから成り立つ世界「異質同体」のワンネスとは

そういうこと

 

 

 

 

めっちゃ身にしみてわかりました

 

本当にすごいね

すぐに体験できちゃう

はやーーーーー。笑

 

 

 

でも今回この6月本当にすごい1ヶ月

 

 

だから誰かのマネって本当に意味がない

影響されるのは少しわかるけど

自分の本質に目を向けたほうがいいし

 

もう物質社会、物、ルール

誰かの創った世界を目指さない

 

 

最近は過去の歴史にも興味があって

縄文時代なんて興味深い!!!

 

 

縄文人って・・・何?

 

ってくらいだし

 

 

300年近く続いた江戸時代・・・

 

 

日本人が日本時らしく生きた時代

 

 

そこからの明治、明治維新・・・

 

 

いかに変化を加えられたか

今信じる全て・・・

 

 

 

嘘か誠か

 

未来も過去も

 

 

誰にも確定できない

 

なら

 

 

今、目の前のこの時をいかに

良い気分で過ごすか

 

 

 

その一点に限るの

 

 

だってこの世界はあなたのためだから♪

 

ふふふ・・・てへぺろ

 

 

 

今日はここまでハートありがとう