続・等身大の「自分」に戻りたいと思った時。 | 「自分のままで“養護教諭”になる」YOUKYOUカフェ・柏木むつき

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【保存版】養護教諭シリーズ

 

5年前に書いたこの記事↓

(この年は、全国にお出かけしていたんだな…出不精な私が本当によく動いていた時代)

 

YOUKYOUカフェ@東京で出た話題なのですが、

 

「学校に一人しかいない養護教諭だから

自分が何とかしないといけない」

「先生なんだから、ちゃんとしたことを

生徒に伝えなきゃいけない…」

 

そんなことを思うと、

「自分なんか…」

「まだまだダメだ…」

「こんなんじゃ先生失格だ」

という思考に陥って、

養護教諭として働くことが辛くなってしまう、

とのこと。

 

(中略)

 

もちろん私にもありました。

 

養護教諭の仕事なんだから!と、

全部一人で背負わないといけないと思って、

誰にも「助けて」って言えずに一人で泣きながら仕事したこと。

 

「分からない」ということがダメなことだと思って、

知ったかぶりをしている自分に嫌気がさしたこと。

 

生徒に「先生らしいこと」を言わなくては、と

“正解”の言葉を探して、

本心から来る言葉ではない

マニュアル通りの言葉を声かけて…

結果として生徒に寄り添えなかったこと。

 

 

これって、

自分が「できない」ことを認めたくなかった。

自分がポンコツであることを知られたくなかった。

自分が「一人前の先生」ではないことが恥ずかしかった。

 

まだまだ他にも沢山理由はあったけれど、

背伸びしてまで良く見られたかったんだなぁ…って思います。

(そして、そんな感情は今でもまだまだしぶとく残っている)

 

と同時に、

「どれだけ自分のことを

「できる」と思っていて

「有能」だと思っていて

「一人前」だと思っていたんだ―!!!」

と、自分が“見栄”の塊であることに、

思わず笑っちゃいます。

「懐かしいなぁ」

と思うと同時に、

「今でも似たような悩みは沢山聴くし、

私だって全部「克服」したわけじゃないなぁ」

なんて思ったります。

等身大の自分に戻りたい。

 

それって、きっと

今まで「できるふり」していたことを

「できない」って認めること。

そして、

「できない」自分を受け入れること。

 

そんなことの積み重ねなのかな…って思います。

 

「助けて」って言ってみる。

「分からない」って言ってみる、

「先生、どんな言葉かけていいのか分からない。

だけど、あなたのことを真剣に考えているよ」って

素直に思った通りのことを言ってみる。

 

そうやって、

自分の「弱さ」を一つずつ出してみることで、

「私のままで良い」という「強さ」を

手に入れることができるのではないのかな。

この考えは5年経った今でも変わらない、というか、

もっともっと強くなっているというか。

大事なことだという気持ちがより一層深まっています。

 

「生徒が本音を言ってくれない」

という前に、

自分は本音を言ってるだろうか?

「生徒が私を頼ってくれない」

という前に、

自分は誰かを頼っているだろうか?

「あの先生の機嫌ばかりうかがってしまう」

という前に、

自分の顔色はきちんと見れているだろうか?


 

「生徒が本音を言ってくれない」

「生徒が私を頼ってくれない」

と悩むときは、つい「他人」や「環境」といった、

「外」の世界に目を向けがちですが、

そういう時ほど、

「自分」の「内」に目を向けることが遠回りなようで近道だし、

(長期的にみた)「答え」はそこにしかないんだと思います。

結局は、自分が自分に対して許可できたことが、

誰かに対してもできることなんだろうな、なんて思ったりもするから。

 

今週は多くの学校で2学期が始まった週。

忙しくなる時こそ、

ゆっくりと、立ち止まって、

「誰か」のためではなく、「自分」のために時間を使えると良いな

(自戒の意味も込めて)。

 

 

(そろそろネイルの色も秋色に…)

 

 

 

 

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