柏木むつきです。
(YOUKYOUカフェに込めた想いはこちらです)
3年前に書いたこの記事↓
最近お会いする現役の養護教諭や養護教諭志望の学生さん。
お話していると、
「養護教諭だから○○したくても無理じゃないですかぁ~」
「養護教諭って△△だから厳しいじゃないですかぁ~」
という言葉をよく聴きます。
そんな言葉を聴くといつも、
「最初から「無理」「厳しい」「難しい」って思いこんでしまうの、
正直もったいない…」って私は思ってしまいます。
(略)
マイナスの感情からスタートしても、
プラスの感情からスタートしても、
どちらでも良いのであれば、私はプラスの感情で一歩を踏み出したいです。
「○○だから無理」「△△したくても無理」
と決めつけてしまうのはもったいない。
その記事をリブログした昨年の記事↓
「養護教諭って一人だから休めないじゃないですか」
「養護教諭って担任じゃないから○○できないじゃないですか」
「養護教諭って△△したくても反対されること多いじゃないですか」
そんな感じ。
(略)
なぜ、ダメだと思っているのか?
なぜ、無理だと思っているのか?
なぜ、ダメだと思われているのか?
なぜ、無理だと思われているのか?
どうしたら「一歩」踏み出せるのか?
どうすれば「一歩」踏み出せるのか?
「無理」だからダメなのではなく、
どうしたら「無理」じゃなくなるのかを考える。
そこから創り上げられる「未来」があると思うのです。
「できない理由」を探すときりがないなぁ、
と最近、本当に実感しています。
そのうち、本当に「できない」って暗示にかかってしまうような。。。
そして「理由」がだんだんと「言い訳」になってしまうような。。。
それに比べて、
「できる理由」はあってもいいし、なくてもいい。
「できると思ってとりあえずトライしてみる」でもいい。
「何とかなる」と思ってスタートしてもいい。
だって「一歩」踏み出さないと分からないから。
できるかどうかすら分からないなら、
まずはできるかどうか、やってみればいい。
と考えると、
「出来ない理由」を探している時は、
「変化」が怖くて、
「周りの目」が気になって、
ブレーキをかけたい時
(アクセルを踏みたい、と思っていても心のどこかで
ブレーキをかけようとしている)
そんな時なのかもしれません。
本当は
「~だから無理」でも、
「~なのにできない」でもないことなのに、
そう思うことで何かに「フタ」をしているのであれば、
その「何か」を見つけることで、
「できること」なのかもしれません^^
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