毎年この季節は家族で

箕面の滝に紅葉を見に行く。

もみじ天ぷら買って、焼き栗試食して

週末は広場で野点があり、

お団子もあるし、息子は寒くてもラムネ、

古本屋で読みたい本選んで、

紅葉より食べ物って感じだね。

私は今年も楽しみにしてた。

 

なのに、なのに、

今年は家族の予定が合わないのです。

行けるとしたら今週の土曜日と話してたけど、

娘がやはり無理になったと‥

お母さん、土曜日行けへんわと言われて

私は咄嗟に悲しいやん‥って言いそうに

なったけど、

ここは言わないをするところやなと思い

そっかそっか了解、とだけ言った。

内心はとっても悲しい、

今年もみんなで行きたかったから。

1人になった時に悲しい悲しい

残念やな残念やなを

たくさん自分に言ってあげた。

 

帰宅した夫にも娘は行けなくなったと

話してて、

夫もそっかぁまた来年行けたらいいな

と言ってた。

夫も楽しみにしてたの知ってる、

紅葉が見頃かどうか調べると言ってたし。

夫の姿を見て

夫も残念がってるだろうけどそういう姿は

見せないんだな、大人だなと思った。

 

悲しいと言わないからと言って

その人が悲しんでいない訳ではない。

残念だと口にしなくても

心では残念がってる人もいる。

そんな当たり前のことに気付いた。

私は言う練習ばっかやってたから

みんな言うんだろうなんて決めつけてたけど

もちろんそんなことはないのだ。

 

あの時、息子が産まれて病気が分かった時

先生の説明を聞いてから

私は不安に襲われて病名をネット検索し

夫にこれ見てと言ってネット画面を

見せたり話したりしてた。

そしたら夫はきっと大丈夫だよと言った。

それを聞いて私は

夫を冷たい人だと思った。

何を根拠に大丈夫と言うのか、

夫にも私と同じように不安になってほしかった。

一緒にオロオロしてほしかった。

バグり全盛期なもので‥

要するに私の不安を分かってほしかったんだけど、私が今の私は不安なんだということを分かってなかったし、ほしい言葉なんて考えたことなかったし、これも自分で分かってないし、到底分かってもらうなんて無理だった。

ということが今なら分かるけどね。

 

でも、でも、

あの時の夫に不安が一切なかった、

なんて有り得ないよ。

あの状況、夫も絶対不安だっただろう。

それを私は自分の物差しでしか見ず

夫のことをひどい、冷たいと思ってた。

私と一緒にオロオロしてくれなくても

夫も不安を心に持っていただろう。

 

そんな当たり前のことに

あの時の私は気付かなかった。

そんな余裕1ミリもなかった。

それは都合のいい言い訳やな。

でも余裕がなかったのも事実。

不安を抱えながらも夫は毎日仕事をしていた。

そんな夫のことを私は思いやることもせず

ただただ自分のことばかりで。

夫の仕事なんてどうでもいい、

それより子どもに付き添ってよ、見てよって

思ってた。

本当に本当にごめんなさい。

自分のことしか考えてなくてごめんなさい。

 

私のキャパはお猪口の裏サイズなので

今も自分のことしか考えられないけど、

これからは自分の気持ちをいっぱい

感じきった後は、

夫に、子どもに、

あなたは大丈夫?と声をかける

相手を思いやれる人間になりたい。

 

娘に悲しいって言わなくてよかった。

そう言ってたら娘は私に謝ったかもしれない、

娘は何も悪くないのに。

娘に謝らせてたかもしれない。

言わないをやってみてよかった。

心のキャパに少し余白ができたみたい。

 

私はあの頃の私を超えていけるんだ。

 

 

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カエル姉さんです。

現在地からナマの言葉は直で響くので

言霊が乗っている状態でお届けしたくて

原文を丸っとコピペしました。

 

解説は後ほどいたしますが

何か伝わるものがあったかな?

 

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さて、自分の感情がわからないのは

身に着けた正論や常識や

親からもらった価値観で

気持ちが見えなくなっているから。

 

 

そして、自分の気持ちがわかって来たら

上っ面の気持ちではなく「本音」を学んで頂きます。

 

 

 

そして、その本音を伝える練習を繰り返しするのですが・・・

 

 

 

その際に特にマイナスの物やネガティブな物って

感じないように訓練されているので

やはり、そちらから手をつけます。

 

 

 

自分の思ったことを言えない場合も

このマイナスの感情を禁止していると同時に

自分へ自己否定が重なって

感情を感じることも出すことも出来なくなっている。

 

 

 

で、まぁその辺の時間のかかることは

今日は端折って書きますが

「感情を感じること」と「気持ちを言う」が出来るようになった時

 

 

 

次は「言わなくて良い言葉」を知って欲しいのです。

 

 

 

これが「言わない練習」です。

 

 

 

 

今まで、自分の悲しい気持ちにフタをして来た

今まで、自分の寂しい気持ちを隠して来た

今まで、弱音を吐いたり助けを求めることを禁止して来た

 

そんな人は、それを言うことが先。

 

 

 

言えなかった言葉を言うことで

世界は一瞬で変わる。

 

 

 

でも、今度はそっちに偏り過ぎるとどうなると思う?

 

 

 

何かあるとすぐに「寂しい」「悲しい」と言う人

弱音を本音だとすり替えて

常に助けを求め弱音しか吐かなくなったら・・・

 

 

 

それは、ただの面倒くさい人になるだけ(笑)

 

 

 

なので、自分の気持ちがわかるようになって

それを伝えられるようになったら

自分で自分の気持ちに寄り添うこと。

 

 

 

ってか、実は最初からそれだけでいいのです!

 

 

 

最初から、自分の気持ちを感じて

その気持ちをそのまま外にも言える人だったら

 

 

 

そう(笑)

そもそも、悩んだり学んだりしないのです笑い泣き

 

 

 

自分の気持ちに寄り添っても良いと知っていたら

こんなに迷子になったままオバサンになることも無いのです。

 

 

 

でもさ、わたしも知らなかったように

知らない人は学ぶしかない訳でチーン

 

 

 

んで、いろいろとわかって来たら

この「言わない練習」をして欲しい。

 

 

 

 

家族と予定が合わなくて

悲しかったのは「自分」だよね。

 

 

寂しかったのも自分。

それを共有したいと思ったのも自分。

 

 

 

ってことは、自分以外は関係無くて

自分の気持ちに寄り添ってあげるだけ。

 

 

 

「そうか、寂しいね」

「そうだね、悲しいね」

 

 

 

これを他人に向けて出したい時は

それによって自分が得られるメリットやデメリット

何が欲しいと思ったからだろうね?ということになるのです。

 

 

 

 

文中にもあるように

娘さんに「一緒に行けなくて悲しい」と伝えたら

自分はスッキリするかも知れないが

娘さんは「ごめんね」と言ったかも知れない(仮説)

 

 

 

悪くないのに謝るクセがある人にも該当しますよ!キョロキョロ

 

 

 

もちろん、相手が「ごめんね」と口では言っても

何の罪悪感も持たない人もいます

口から出まかせで言える人もたくさんいます

 

逆に、口では何も言えなくても

お母さんを悲しませたと勝手に罪を持つ人もいますw

 

 

 

 

みなさんが言わないと気が済まないことって何でしょう?

 

 

 

言葉や行動は注意すればするほど面白く

ヒントに満ち溢れています。

 

 

 

何をして

どんな行動をして

所作や仕草

何を好んで

どんな言葉を口から出していますか?

 

 

 

そこに、その人の全てが映し出され

言わずとも書き出されている人生の脚本のようだと思うのです。

 

 

 

そして、最後に「その脚本」は

今からでもカエルことが出来ると

わたしは思っていますよ照れ

 

 

 

言わなくて良い言葉

言わないといけない言葉

 

自分の口からどんな言葉を出していますか?

そして、どんな所作で日常(生活)を生きていますか?

 

 

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今日は書いていたブログがあったのですが

急遽、番組内容を変更してお届けしました(笑)