数年前に、知り合いの方が、排ガスで命を絶ちました。ある公園で…。
数年前に毎晩のように、「死にたい」という電話を貰ってカウンセリングしていました。
先日、叔父の葬式後から、急に、アイスが食べたくなって毎日食べていました。
その後、叔父の遺骨の前で、叔母にその話をしたその日から、
私は、アイスを欲しくなくなったんですね。
叔父は生前、アイスが大好きだったのですが、
最近は、飲み込むのがしんどくてアイスを食べていなかったそうです。 アイスは冷蔵庫に買い置きしたまま…。
葬式の収骨の際、従姉妹の子供さんが怖いと言っていました。 とてもいい学びをしていると思った次第です。
「死んだら灰になるだけ。」 死ってもっと身近なものだと思います。
死っていつでも、自分と隣り合わせにあるものではないでしょうか?
生死、死を意識する時、それは生きることを意識している時だと思っています。
余命○ヶ月の花嫁って小説もありましたね。
死を意識しながら、生を一生懸命、全うする。 死を考えるとき、 生きたいんだという無意識の叫びが聞こえてくるのは私の気のせい?
自分で自分の命を絶つのは生物の中で人間だけです。
歯がゆいです。
うまくいかないことは多いです。
うまくいかない方が当たり前、そう思うと、楽になりませんか?
何でも自分でコントロールできる。
思い通りになる。ってことを期待していませんか?
期待は、スタンダード、あなたの基準です。
その基準を満たさない状態はすべて不満な状態になります。
理不尽なことの方が当たり前。平等、公平なんて希、だという前提だと、 心のあり方が違ってきませんか?
理不尽や不公平に対して、怒るだけ、責めることで何かが変わるのでしょうか?
だからこそ、きちんとした人間でありたいと思うのです。
逆にそんな世の中なら、好き勝手してもいいという人もいるかもしれませんが、
それもその人が選択したことです。
そのような理不尽にどう対応するか?不公平にどう対応するか?
公平な対応、親切に接すると、素直に感謝できますよね。
うまくいくと素直に喜べますよね。
それを学んで成長すること、それが大事だと私は思っています。 運をよくすることは理不尽な状態に対処できることかも。
そして、そんな理不尽な人と波長が合わなくなって、 感謝できる、素敵な人との出逢いが増えることとも言い換えることができるかもしれませんね。
ある教えでは、人生は痛みを体験する場だともいいます。
そのためには肉体(身心)が必要なのかもしれませんね。
(心の傷、身体の傷…) 痛みがあるのも仕方ないことだってことなんですね。
痛いの誰だって嫌です。
筋肉だって大きな負荷(痛み)に耐えられるように鍛えることで、
少々の痛み(負荷)なんて軽々とこなせますよね。
楽にも、大きな負荷に耐えたことで得られた楽と まったくすべての負荷から逃げた楽があります。
私はどんなに辛くても死を選ぶことだけは絶対に認めない。 厳しい、冷たいかもしれませんが、
それが、その方自身の存在を本当にきちんと尊重した態度だと思っているからです。
私も、死にたくなったこともあります。
リストカットを試みたこともあります。 しかしながら、私は踏みとどまりました。
それは、私の死生観として、生死だけは、自分で選んではいけないと想っているのです。
それは、自分自身で、選ぶ権利はないと想っているからです。
一般的な価値観からすれば、損な考え方かもしれませんが、
私はこれからもそうでありたいと思っています。なにかしら伝わって貰えたらと思います。
そういえば、死にたくなる間取りってあるんです。 どんな間取りかというと、 天井の梁が突き出ていて、その真下で寝ている場合などです。
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