2015年4月11日(土)、妊娠24週1日で「子宮内胎児死亡」を宣告されました。
4月17日(金)に25週0日で、第一子となるとても可愛い女の子を出産。
「もしかしたら」と希望を抱いていましたが、やはり死産でした。

現在も悲しみと混乱の中にいます。

このブログは、自分の気持ちの整理のため、妊娠期間の7ヶ月を一生懸命生きた娘の記録を忘れないため、また同じように死産や流産で苦しんでいる方に何らかの情報を提供できたらと思い始めました。



ざっとこれまでの経緯を記していきます。
私は夫婦2人で住んでいます。
不妊治療の経験はなく、自然妊娠で初めての妊娠でした。
胎児ネームはぱんぽこ。



【2014年11月24日】
妊娠検査薬にて妊娠発覚。




【12月2日】
胎嚢確認。




【12月15日(妊娠7週)】
1.7cmの赤ちゃんと心拍確認。
母子手帳を交付してもらう。




【12月17日(妊娠7週)】
激しい腹痛・嘔吐・下痢で、受診していた産婦人科のあるA総合病院で救急車で運ばれるも、何度希望しても産婦人科では診てもらえず、救急外来で担当した内科医が異常なしと診断(恐らくこれは死産には結びついていないと思われるが、病院に対して小さな不信感が残った)。




【2015年1月16日~2月下旬(妊娠12週~17週)】
つわりも終わり、食欲も出て2~3kg太る。
大きな問題は特になく順調。




【3月6日(妊娠19週0日)明け方】
初めて胎動を感じる!
この日から毎日、日に日に胎動が強く激しくなっていく。
他の人と比べると恐らく胎動は強い方だったと思われる。




【3月9日(妊娠19週)】
妊婦健診で、尿糖2+が出る(担当医から、お菓子禁止・規則正しい生活をと言われる)。
お菓子禁止、糖分や油分控えめ、食べたものをメモ、間食禁止、規則正しい時間での3食の食事、毎回カロリー計算、偏りのないバランスの良い食事、ウォーキングを心がける。




【3月31日頃(妊娠22週)~下腹部痛~】
足の付根に近い下腹部の痛み、座った時に下腹部に響くような痛み、左の腰痛を感じる(お腹も張っていたが、この時は張りという感覚がはっきりとわからず)。痛さで眠れず。




【4月1日(妊娠22週)~軽い膀胱炎~】
ようやく痛みがとれて眠れたのが朝方。起きた時はお昼で、11時までの受付が必要なA総合病院の外来は時間外だったため、電話で相談。またも「膀胱炎の可能性があるので“内科”で診てもらうよう先生が言っている」と言われる。
その日はA総合病院の外来受付は終了していたため、夫と近所の内科で診てもらう。「軽い膀胱炎」と診断されるも、腹痛や腰痛の原因になるほどではないし、内科的というよりは産婦人科的なものではないかと思うので産婦人科受診をすすめられる。





【4月2日(妊娠22週)~心拍異常?~】
夫とA総合病院へ。産婦人科ではなく、婦人科外来になると言われる。いつもの担当医ではない先生に診てもらう。
ここで初めてお腹が張っていたことが発覚。お腹の痛みの原因は、これまで現時点では問題無いとされていた2つの子宮筋腫の可能性が高いことがわかった。
子宮筋腫は左に5cm、右に6~7cm程のものがあり、妊娠前から妊娠出産には支障のない位置にあると複数の医師から言われていたもので、妊娠してから成長し大きくなったものだった。
そして、これまたここで初めて言われたことが。「子宮口がしっかりしていない」。これまでそんなことを言われたことがなく、常に「順調」「長さもしっかりあっていいですね」と言われていたので驚いた。
そして軽い切迫早産のような状態なので、自宅で安静にするよう言われた。
家事は、食事を作るだけならそれだけ、洗濯をするならそれだけにして、家でゴロゴロして過ごすよう言われる。
エコーで胎児を見ていると、心拍が遅いことに気が付き、医師に指摘。恐らく90台くらいの心拍になっていた。すぐにエコーではなく、心拍計で計ってもらうと通常の心拍数に戻り、医師からも助産師からも、偶然こういうことがあるが大丈夫だと言われる。ネットで調べてみると、赤ちゃんが臍帯を握ることで心拍が遅くなることがある、との記述を見つけてもしこれが原因だったら……とその先を想像すると冷や汗が出る。




【4月6日(妊娠23週)~切迫早産気味~】
夫とA総合病院で妊婦健診。食事に気をつけていたのにも関わらず、尿糖+3の結果が出る。この時、担当医にも「切迫早産気味」だと言われたことで注意することや、経過が本当に順調なのかを質問。
入院するほどではないが、自己責任で安静にと言われる。担当医は質問すると答えてくれるが、質問しないと教えてくれないイメージ。経過は週数相当の成長をしているし、子宮口は言われるとそれほどしっかりはしていないかもしれないが心配するほどではないと言われる。




【4月8日(妊娠23週)~妊娠糖尿病~】
妊娠糖尿病の精密検査を受ける。夫もついてきてくれる。検査結果は、ぎりぎりの数値で妊娠糖尿病と言われる。
空腹状態で1回、甘いサイダーで糖分を補給した1時間後に1回と2時間後に1回の合計3回血液を採って検査するもので、私は3回目の数値がギリギリオーバーしてひっかかったとのこと。




【4月9日(妊娠23週)~胎動が違う?~】
この日の夜位から少し胎動が弱い又は違うと感じる。でもたまにそういうこともあるので、今日はその日なのだろうかとも思う。いつものように、お腹を軽くポンポン叩いて、ぱんぽこを呼んでみる。返事は遅いがある。
まだ逆子のぱんぽこは、この日くらいから右下腹部あたりで、うねうねと腸を押しているような頭で下腹部を押さえつけているような、いつもとは違う動きをしているような感覚がした。




【4月10日(妊娠24週)~心拍確認~】
午後2時半からA総合病院で、管理栄養士による食事指導があり夫とともに来院。
午後4時半頃、やはり胎動がいつもより弱いような気がして、産婦人科に立ち寄る。
外来を終えた産婦人科はがらんとしていたが、受付にいた事務の人と助産師さんに胎動が弱いような気がすることを伝える。「最後に胎動があったのはいつか」と聞かれ、食事指導後にに少しあったのでそれを伝えると、「少しでも胎動があれば大丈夫。半日(夫は助産師は6時間と表現していたと言っていたが)以上なければ来院を」と言われる。
でも不安だと伝えると、助産師が心拍計で心拍の音だけ聞かせてくれた。
通常通り問題のなさそうな心拍音。とても安心した。
でもこれが、ぱんぽこの心拍音を聞いた最後だった。



【4月11日(妊娠24週)~心拍停止~】
土曜日。殆ど眠れず。朝5時に起き、そのまま2時間横になったまま7時まで胎動を確認する。
腸の動きなのか胎動なのかわからない。呼んでも返事はない。私の中でA総合病院に行くことのハードルはこれまでの経緯でとても高くなっていて(救急車で行っても産婦人科では診てもらえない、すぐ内科にまわされる、大丈夫だと言われる、何かあったらすぐ病院に来いと言ってもらえない、記述してないけど事務の対応がとても冷たいことが多々あった、事務と会計のミスが多いなどの不信感)、半日胎動がなかったら即病院というルールを守らないと診てもらえない、という心境になっていた。
12時27分、A総合病院に電話し救急外来の当直産婦人科医に即診てもらう。
夫は診察室の外で待つよう言われる。
ベッドで横になり、診察室の照明を暗くしてエコーの画面を見る医師。何も言わない。いつもは見せてくれるエコーの画面は医師の方のまま、私には見せてくれない。沈黙。
この当直医に「今日はどなたかと一緒に来られましたか?」と聞かれる。
もう嫌な予感しかしない。「おっ、おっとととと、夫と……」と噛みながら返答するのと同時に、助産師が「ご主人と来られています」と返答。
当直医が「お呼びして」と助産師に言う。それを聞いて思わず「心拍はありますよね?」と医師に質問。答えてくれない。ずっとエコーの画面を厳しい表情で見たままの医師。
なぜ?
夫が来るまでの数十秒の間、無言の空気に包まれる。
助産師が「ご主人が来られました」と、夫を診察室に入れる。医師がここで初めてモニターを動かし、私と夫に見えるようにしてくれる。私の腹部をエコーしながら「ここが心臓なんですが、心臓が動いていません。」と言ったと思う。もしかしたら、心拍が停止していると言ったのかもしれない。
その後「嘘!嘘!嘘!」を連発して泣き叫んだと思う。モニターは怖くてしっかり見られなかった。

何時間経ったかわからない。

冷静さを取り戻した後に、質問をたくさんした。
この後複数の医師に複数の質問をしていて回答をもらっているのでこれは後日まとめてアップします(関連記事を御覧ください)。


今すぐ入院をと勧められる。判断能力を失った私は夫に返答を任せる。意外なことに夫は入院を断った。理由は私の精神状態が良くない状態で入院させるとますます弱ってしまうことなどが理由にあり、後で夫のこの判断は正しかったとつくづく思う。
4月13日(月)朝10時に入院するよう言われる。それまでの1日半で出血や腹痛、破水などあれば即来院するように言われる。
今更?今更「何かあれば即病院に」と言ってくれるの?今更?という思いが頭をよぎる。

(※A総合病院にかなりの不信感はあるものの、A総合病院に行っていたからこのような結果になったということはなく、どの時点で病院に行ってもどこの病院に行っていても結果は変わらなかったということを納得のいくまで質問して回答してもらっているし、私たちもそう判断しています。その内容は後日。)

関連記事:
「Q&A:なぜこんなことになったの?」

「Q&A:もしもあの時こうしていれば」

「Q&A:それでもまだ納得出来ないから」





【4月12日】
どこかに救いを求めたい、もしも本当に心拍が停止していて死亡しているのならば、ちゃんと送ってあげたい、でもまだ納得出来ない、信じられない、色んな複雑な思いがありじっとしていられず、結婚式を挙げた教会の神父さんに連絡をし、会っていただくことになった。
納得出来ないこと、医学的ではない疑問などを伝え、ぱんぽこのために祈ってもらった。
気持ちが少し穏やかになった。
この日、3人で最後の旅行として山梨県の河口湖に富士山を見に行った。
初めて行った山梨県。初めて間近で見た迫力ある富士山、そして河口湖近くに満開に咲き誇る桜の中に、生命力を感じるような可愛いピンク色の杏子の花。
この景色は一生忘れないと思う。





【4月13日】
夫とA総合病院に来院。入院前の担当医に診てもらう前に、医局長に診察してもらう。最初からこの先生に診てもらいたかったと思うほどいい先生だった。ここでも用意してきたたくさんの疑問を投げかける。もしかしたらまだ何とかなるのでは?という思いが捨てきれず、色んな可能性をぶつける。
じっくりと聞いてくれ、医学書のようなものも提示して現状を説明してくれる。大混乱している気持ちにも寄り添ってくれる先生だった。それでも他の見解も聞きたい私達は、日本で有数の産婦人科・小児科・NICUなどを持つ専門性と高度な治療が出来るB病院を紹介してもらうようお願いし、紹介状を書いてもらう。

午後、A総合病院でのこれまで担当してくれた産婦人科医に診てもらう。一言目から入院と処置の話しから始まり驚いた。10分位一人でそれを説明していたが、キリの良い所で、入院やその後の処置の話しよりも何よりも聞きたい答えや質問を夫とともにぶつける。

当然この日、A総合病院で入院はしない。


帰りに助産師さんが私を励ましてくれたのが何だかとても嬉しかった。




【4月14日】
夫とともに日本で有数のB病院に行く。A総合病院も大きな病院だったけど、それより更に巨大なB病院とその内装に圧倒された。
ここでも診断結果「子宮内胎児死亡」は変わらず。
それでも納得出来ない私たちは、どんなに小さくても可能性を探る。質問にもとことん付き合ってもらったように思う。
夫と相談した結果、より専門性が高く無痛分娩のあるB総合病院で入院することを決める。

分娩もだが、まだ24週で開いていない子宮口を開くための処置に使う「ラミナリア」が強烈に痛いとのことで、この痛みも排除してもらう手段がないか医師に相談。
肉体的苦痛は精神的苦痛につながるとの夫の判断。この判断も後でとても感謝することになる。

関連記事:「無痛分娩と麻酔の話し」




【4月15日~入院~】
入院初日。11日以降毎日だが、泣いているかぼーっとした時間を過ごしている。とにかく頭が混乱している。
高度な医療が必要な妊産婦が集まるこのB病院で、今週死産するのは私を含め3人とのこと。
悲しみの病棟の個室に入った。
夕方、1回目のラミナリア処置。この時は6本入れる。
どのように痛みを完全に排除したのかは下記の関連記事を。

関連記事:「ラミナリアの痛みを出来るだけ排除した方法」




【4月16日~ラミナリア処置~】
午前中に2回目のラミナリア処置。9本入れる。
夕方に3回目のラミナリア処置。20本入れる。




【4月17日(金)25週0日~出産~】
午前8時7分、1回目の陣痛促進剤を入れる。
午前11時47分、2回目の陣痛促進剤を入れる。

午後。
ぱんぽこが誕生。
全てが卵膜に包まれた「幸帽児(こうぼうじ)」として生まれてきた。
520g、33cmの女の子。


死産が行われる分娩室は、母親の泣き声しか響かないとても静かで辛い空間だと聞いていたが、私の場合はそんなことはなく、死産にも関わらず出産に喜びと感動だけを感じるものになった。
顔が見られたこと、どんな形でも会えたことがとても嬉しかったんだと思う。
悲しさや辛さというのは不思議なほど全くなかった。
周りの助産師・看護師・医師の対応も良かったんだと思う。
とても幸せな時間だった。


勿論、感動だけの気持ちが何時間も何時間も続くはずはなく、この後またドロドロの精神状態に戻るのだが……。

関連記事:「入院病棟の看護師さん・助産師さん」「出産は感動と奇跡だった」




【4月18日~退院・お葬式~】
午後退院。
夜、教会で神父さんと夫と3人でお葬式をしてもらう。
神父さんは、話しを聞いてからずっと祈ってくださっていたとのこと。
信者でもないのにとてもありがたいことだと思う。
自宅でぱんぽこ(本当は名前で呼んでいる)と3人で過ごす。
ぱんぽこの好きな音楽や赤ちゃんが好む曲を探して聞かせたり、子どもはみんな大好きというアンパンマンの曲や童謡も聞かせてあげた。
口にお水を含ませたり、体を拭いてあげたり、お世話できている時間がどんなに幸せなことか。
でもふと思う。20日(月)になれば火葬されてしまう。
またぱんぽこが私の手から奪われる。
一気に悲しく辛くなる。





【4月19日~お通夜~】
朝から地方に住む私の父、夫の兄弟がぱんぽこの顔を見に来てくれた。
私たちのことも励ましてくれた。
順番は違うけど、この日はお通夜のようなもの。
ぱんぽこと過ごせる最後の夜。とても辛い。





【4月20日(月)~火葬~】
午前8時40分頃。火葬場に到着。
神父さんも一緒について来てくださった。
胎児は骨が柔らかく、大人と同じ火力だと骨が残らないかもしれないとの情報をネットから得て、火力の弱い朝一での火葬を希望した。
8時50分、最後のお別れの時。最後に抱っこした。
泣き崩れてまっすぐ立っていられることが出来なかった。
どうして、どうして、どうして。そればかり。

関連記事:「死産後の火葬の話し」





追記【5月25日(月)~死因確定~】
病理解剖の結果異常なし、見た目での体の異常なし、臓器の異常なし、胎盤に異常なし、私の不育症の可能性なし、染色体の異常なし。
娘・ぱんぽこには何も異常はありませんでした。
私にも死因につながる異常はありません。
死因は消去法で「臍帯過捻転」になりました。

関連記事:「悔しい……」




以上が私の妊娠~出産~火葬までの流れです。
まだ悲しみの中にいて、泣いているかぼーっとしているかのどちらかだし、11日以前の生活には戻れていません。誰かとしゃべりたい、誰かと会いたいという気持ちも全くありません。
退院まで毎日付き添ってくれていた夫も、火葬した次の日くらいから仕事に戻ってしまったので、日中は家に一人です。
どうしていいかわからず、でも可愛い娘のことを忘れたくない、何かしていたいという気持ちからブログを始めてみました。
いつまで続くかわからないけど、残しておける記録はできるだけ書いていけたら。


いつかまたぱんぽこが私たちのもとに帰ってきますように。


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