ふ(つづき)


つらい、しんどい

という気持ちを

内側で感じているとき

どう処理をするか


それはひとによりけり

だと思うんだけど

わたしの場合

ただ感情を

感じて、感じて

それが天気のように

過ぎて行くのを待つ

というのが

主な選択なんです。


よって

外側にあらわすことが

あるとすれば、それは

その天気が過ぎ去った後

つまり葛藤が

終わった後なんですが


つらい、しんどいが

ない(薄い)ひとなのかなと

思われていることが

よくあるようです。


そんなことは

まったくないのだが笑い泣き


しんどい日々でも

淡々と過ごしがちでは

ありますが


そのしんどさを

ダイレクトにひとに

お裾分け?する行為は

得にならない!と


10代の頃

身に染みたらしく


以降、この歳になるまで

そんな感じなのですね。



サバ氏の闘病、

主に彼の苦痛に関しては

わたしという宇宙の中で


宇宙をゆるがす危機であり

即座に解決せねばならない

内なる

スターウォーズでした。


これは、ほんとに

ひとに言っても

しょうがない。


大変だね。

何か出来ることあれば

言ってね。


と、いたわりの気持ちを

向けられることはあっても


それはとてもありがたくても


同じ感覚を

そっくりそのまま

誰かと共有できるか

と言うと


個体である限り

感じ方には個体差があり

それはどう願っても

困難なわけです。


共有したい

共感を味わいたい


というのがぶっちゃけ

一番の願いなのに


そういうことを

先回りして、無理ね…と

納得してしまうわたしは


感情処理はハナから

誰とも共有しないのです。


あっ、今、書いてて


孤独やんびっくり って


ちょびっと

思ったわ(笑)


🌟🌟🌟


そんなわたしの感情を

サバ氏は黙って、長年かけて

受け止めていてくれたと

思わざるを得ないのは


わたしの肉体の弱いところと

歴代の猫たちのそれは

いつもシンクロしていたな…


と、いうことなんです。


動物やこどもは

親のつらいところを

一緒に持ってくれる

引き受けてくれる…


これ、すごくイヤだけど

そうかもなって思う。


バイオ・レゾナンス波動治療器で

わたしの波動と

サバ氏の波動を

測定してみたら


おもしろいほどに

不調和な箇所が

一致していた。


それに気づいたのは

サバ氏が2度目の

膀胱炎にかかった

今年の4月かな。

(はじめては昨年9月)


家庭内なレゾナンス

(共振共鳴)に


ちょっと衝撃を

受けたのを覚えてます。


いつも仕事で


共振共鳴

共振共鳴


って

言いまくってたんだけど 

そう来たかー

って感じ凝視


(つづく)