🎄Happy Merry Christmas 🎄


冬至直前から、ウチの18歳

お爺ニャンサバ氏🐈が

ごはんをまったく食べなくなり


バタバタと入院、そして退院と

ちょっと気が気でない冬至を経ての

クリスマスでございます🎄🌟


結論から言うと

退院後36時間ぶりに

やっとごはんを食べてくれました😭


奇跡だ✨


しあわせ…💗

な気分を

噛み締めております。


しあわせの定義は

ひとそれぞれですが


気持ちいいとか

安心感とか

楽しいとかね。


わたしにとっての

しあわせとは


しあわせへの感受性

そのもの、だと思うわ。


普遍的な幸福というのも

もちろんあると思いますが


今、在るしあわせ

気づいてるかどうか


それが

わたしにとっての

しあわせだ。


うちのサバ氏🐈が

安らかに眠りを

享受している姿見ることも

しあわせだし


36時間ぶりに

ごはんをわたしの指から

5口食べてくれたことも


今日も自力でトイレに

行けたことも


ベッドからヨロヨロ

立ち上がって

眠ってるわたしに

コシコシ

額を擦り付けてくれることも


ニャン✨


と、ハイソプラノで

鳴いてくれることも


ガリガリだけど

モフモフなその毛並みに

触れたときの温かさも


わたしとサバ氏🐈への

友達のさりげない優しさも


数えれば

枚挙にいとまがないほど


しあわせは

この瞬間

ここに在る


それはもしかすると

明日消えてしまうしあわせ

かもしれないが


消えたらじゃあ不幸か?


そういうことではなくて


そのときまた

今、在るしあわせ

気づける感受性

(センサー)がある


それが

わたしの

しあわせだ。


同じように


楽しさとか

喜びとか

とか

感謝とか


わたしの感受性は

ずっと長きに渡り

ほとんど

半タヒ状態で


ステレオのボリューム

しぼりきったような状況で


楽しい

嬉しい

愛してる

ありがとう


って、なんとなく

それっぽく

アテレコして

やってきた気がする


やるしかなかった

のかもしれない。


だって、それしか

やり方を知らないからさ。


でも、ここ半年


どんなに

体調が悪化しても

治ることがなくても


淡々と

淡々と


ひたすらに

ひたむきに


いのちをただ、生きる


生命活動を

いいだの悪いだの

そんなこととは


完全に違うフィールドで

営みつづける


お爺ちゃんニャンの姿を

見つめつづけて


泣いて、怒って

イライラして

悲しんで

喜んで

感謝して

また絶望して


を、繰り返していく内に


わたしの

しあわせに対する

感受性ステレオ

ボリューム


知らず知らず


ゼロ(無音)から

音の在る世界へ

シフトしていると


気づくことが

確実に

増えています。


3ヶ月(だけ)全力で生きてやんよ!


と、吠えてから


光と音の音浴会

脳レスキュー・リトリート


わたしは気づきつづける!

と、言挙げし

まさにその通りに

なっておりますよ。


言挙げ直後の

女神の忘年会イベント

インフルで欠席

&悔し泣き


そして復活。


1月の

モノリナ・オーケストラ

に向けてのエンジンを

かけて行くタイミングで


さらに

サバ氏🐈の

食欲廃絶。


この轟轟と流れる

川のようなフローの中で

わたしの

感受性ボリューム


このままじゃもうムリ!


と、飛び起きざるを

得なかったのかもね。