お盆が過ぎ、台風や夕立が多くなりましたね。だんだんと秋の気配が近づいてきましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
私はというと、14日に地元の名古屋を通過しましたが、実家に帰らずに東京に戻ってきました。実は夏に両親と合わないのは今回が初めて。18歳で実家を出て一人暮らしを始めてから約10年、毎年夏に両親と会う機会をつくっていた私、なんて偉いんでしょう!
今、「それが普通だろ」と思った方、「毎年会わなくても良くない?」と思った方、きっと感想は様々でしょうね。そこにあなたの思い込みが存在します。私は「毎年会うのが当たり前」とか「両親が会いたがっているのに会わないのは親不孝だ」という思い込みがあり、毎年両親と会う前提で友人との旅行などを調整していました。しかし、今回はその前提を私の中で覆したのです。
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7月3日、母親からいきなりLINEが来ました。
「Facebookの友達から外されたけど、毎日欠かさず読んでいるよ。だから仕事辞めたことも辞めた直後から知っているよ。好きなものを仕事にして幸せを感じてね。」という内容でした。
一見、素敵なお母さんだと思う方も多いかもしれません。しかし、私はまず、「干渉されるのが嫌でFacebookの友達から外したのに、わざわざ自分で探して読んでるんかい!」と思いました。私は自分の両親以外を知らないので、Facebookで友達になる親子がどれほどいるかとか、子供が親を友達から外しても検索して投稿を読む親がどれほどいるかとか全くわかりませんが、私自身の感想は、「その執念たるや、、すげーな」と思ったと同時に、「母親の過干渉発揮ぶりに乾杯!」と思いました。
さらに、仕事を見つけろという内容が8割だった(LINEの内容として上記に書いたものは割愛・要約している。)ので、「仕事に携わらないと幸せは感じられないの?仕事を見つけられていないあなたはダメだと言われている気がする。」と返信しました。すると、「いや、ダメだなんてまったく思ってないけれど、現実をよく見てほしいだけ。どうやって生活していくの?生活の基盤だよ。ただ、それだけ。」と返ってきました。
やっぱりなと思いました。
「好きなものを仕事にして幸せを感じてね。」という一見綺麗な言葉の裏には、「仕事をしていないお前は現実をよく見ていない。そのままでは生活ができない。」という想いが隠れていたのです。
以前、『母に縛られた娘たち』という本を読みました。親(特に母親)は、自分が愛情に飢えていると子供に依存しがちで、「子供のため」と言いながら、本当は無意識のうちに、その子供のことを自分の価値観や常識で縛っているにすぎないといいます。
この頃までは、お盆にはちゃんと実家に帰って両親と話そうと考えていましたが、このLINE事件がきっかけでお盆に帰るのもやめようかなと思うようになりました。
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8月4日、アメリカでの3年間の滞在を終えて日本に帰ってきた姉夫婦に会いました。そのとき、「お母さんがね、『麻友美(私の本名)ならお盆に帰ってくるんだから、わざわざ東京で会う必要ないでしょ?』って言ってたんだけど、別に東京で会ったっていいじゃんね。」と言われました。
姉の話を聞いて、「お母さんは私がお盆に帰ると勝手に思い込んでる…。やっぱり帰らないのはまずいだろうか。」という想いが湧いてきました。
実家帰るか迷う…
— 麻友湯(まゆゆ) (@mayumin_0526) 2016年8月5日
帰ってちゃんと話したい気持ちもあるし、分かってもらえなかったり、また否定されるんじゃないかっていう不安があって怖いんだ。
「もしかしたらもうそろそろ否定されないかもしれないし、私の話し方次第でちゃんとわかってもらえるかもしれない」という想いも出てきましたが、「いや、やっぱり否定されるのは怖い」と堂々巡りで悶々と考えていたら、ものすごく苦しくなりました。
はぁ、つらい…
— 麻友湯(まゆゆ) (@mayumin_0526) 2016年8月5日
そして、こんなに苦しい思いをしながら実家に帰るのは自分が死ぬなと思い、決めました。
決めた!実家帰らない!
— 麻友湯(まゆゆ) (@mayumin_0526) 2016年8月5日
なんで自分をこんなに苦しめてまで好きじゃない人と過ごす時間をつくらなければいけないんだ。そんなバカな話あるわけがない。血が繋がってるかなんて関係ない。親が帰ってくるのを期待してるからなんて関係ない。親不孝だと思いたければ思えばいい。
上のTwitterでは、私は両親のことを『好きじゃない人』と表現していますが、両親のことは嫌いではないです。さらに言うと、両親が私を愛してくれているのも知っています。心配してくれるのは、愛情表現の一つだということも知っています。自分が正しいと思う道を私に指し示してくれるのも、愛情表現の一つだと知っています。両親自身が条件付きの愛や常識や人の価値観に縛られて育ってきたため、愛情に飢えており、不器用なだけで、すべては無意識でやってしまっていることを知っています。
でも、私が今、それらを受け取ることができない。
私は、私の好きなように生きたいのです。
私は、私のことを信頼して、見守っていてほしいのです。
心配をされると「お前は大丈夫じゃない」と思われているように感じてしまい、自信がなくなるのです。
でも結局、自信がある人は、心配されても何のことはない、自分が自分を信じているんだから大丈夫だと思えるのでしょう。私がそう思えないということは、要するに、私はまだ自分に対する自信が足りないのです。
だからもう少し待ってほしいと思っています。私が自分に自信を持って両親に会えるようになる日を。