2020.3.11
今年最初の名古屋古事記塾のお話。






10年分を凝縮して伝えてくださいました。


わたしの中で響いたものを
こちらに記録として残したいと思います。


(これは今の私の容量で
自分なりに受け取れたもののアウトプットであることをご了承ください)



まずは古事記とは一体何か、
誰が何を願われて書かれたものか。

そこを知る必要があります。

古事記の序文に書かれているものです。

今野先生のブログから引用させていただきます。


☆  ☆


序文には、この古事記がどうして書かれたのか『古事記』の成立過程が詳しく書かれています。

天武(てんむ)天皇は、
諸家に伝える帝紀(ていき)
および旧辞(きゅうじ)が

正しい史実に違い虚偽を加えるところが多いのを慨(なげ)き、

いまにして これを正さなければ
真正の所伝は幾(いくばく)もなくして滅びてしまうであろうと憂え、

ここに自ら帝紀・旧辞を検討し、
虚偽を削り真実を定めて
後世に流伝させようと決心し、

稗田阿礼(ひえだのあれ)に命じて
これを誦(よ)み習わせたのでした。


でも、やがて天武天皇は世を去り、
持統(じとう)・文武(もんむ)朝となったが、

この時期は律令(りつりょう)制の完成・施行に忙しく、
その初志を実現することができませんでした。


 文武天皇の後を受けて即位した元明(げんめい)天皇はこれを遺憾とし、


711年(和銅4)9月18日、太安万侶(おおのやすまろ)(安麻呂)に詔して、

稗田阿礼の誦み習うところを
筆録し献上せよと命じました。


そこで安万侶はこれを筆録し3巻の書物とし、翌年正月28日に奏上した旨が記されています。



ここでいう「帝紀」と「本辞」は何かというと、



国を治める根本であり
人民を教化する基本が書かれたものなのです



もっと分かり易く言えば、


国家を運営していく上で、
古代から蓄積した
知識の精髄をまとめた物なのです。


要するに古事記とは



この国を治める人が必ず読むべきもので在り、
一番大切な國體の本義が書かれているのです。



ここで一つ
時代背景などを含む史実、
日本語、やまとことばの意味を知っておく必要があります。


時代は
隣の国の中国文化の影響を受け始めていました。

古事記と同じ時期に書かれた
日本書紀という書物があります。

古事記と日本書紀のちがいとは一体何か。


日本書紀は漢字で漢文で書かれたもの。
漢文の知識がある人は
ある程度は読めるのだそうです。


一方で
古事記は口伝で音として伝わったもの。
やまとことばを漢字の音を当ててやまとことばの音だけを借りて書かれています。

やまとことばとは
音の一つ一つに意味を持つことば。

たとえば
「ひ」という音の漢字には

日、火、陽、比、一、飛、

など様々な意味をあらわしながら
音は おなじ「ひ」として言い表されています。

つまり
いくつもの意味を含むということなのです。


このように古事記に書かれていることばは

音が持つ意味、音で残すところを
文字に書き起こしたものなので
その時に持っている背景が全部パックされているのです。

今野先生が古事記塾で使われている
阿部國治先生の古事記にはそれらを踏まえながら


実はこの古事記は
音の一つ一つに意味が込められているので
一語一句よく噛み締めて読みなさいと

何度も書かれているのです。


書いた人、伝える人が
どれだけの深みを持って読み取り伝えるか。

知識だけでなく
人生で得た経験、智慧、背景、物事を見る視座、など全てを含んで
それをどれだけわかりやすく伝えてくださるか。


天武天皇の憂慮したその思い、
後世に残したいもの。

口伝であったことの背景には
実はこんなことがあったのです。



そしてさまざまな人の手を借りて
命を超えて時代を超えて。



2020年の今
ここに残されているのです。

そしてまた
天武天皇より先の時代から始まり126代
今もなお 
天皇がおられて

思いを守りついでいただける国が
この日本だということです。



今野華都子先生の古事記塾