昨日からの 考察。




ひとにより 感覚が違うのは

何故なんだろう と 探究は続きます。 
 

浮かんだことは。 
 

「あったものが なくなると。

減った。 になり。

それにより

寂しい 悲しい が 起きていた」ということ。

そして 

「元々なかったひとにとっては。

そこに

「寂しい」とか 「悲しい」とか

そういう感情は 起こらないのだ」

ということ。

一つ前の投稿に

寂しい 悲しい の元には 

「愛」があった と書きました。

https://ameblo.jp/pelfect/entry-12790600062.html 
 
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それは、

「私が いっぱい愛していたのだ」という

私の愛の多さや 深さでありましたが。

「どなたからの 愛も そこに息づいていた。」 

という真実。

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自分が欲しい形の
愛の表現ではなかったにしろ。

自分が自覚できてない
愛の形だったにしろ。

自分が受取拒否していた愛にしろ。

「ない!ない!」

と 自分の穴に 意識をし続け。

嘆き続けた先で 

これに出会ってもいいのだと思うのです。

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この話を友人にシェアしたら。

「離れたり、なくなって

そのありがたさが分かるものです。」と 一言。

この方も 

何かが離れたり 

なくなった体験をされたのでしょうね。 
 
 
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同じことば 一つ取っても

体験を伴った方から発せられるものには。

深さや 響き方が違います。

同様に

体験された方が 受け取るものの

質も 深さも違ってきます。

体験は 尊いものです。

一つ一つが 人生だから。

だから 

私は 自分の体験や 気づきを

いつか 誰かが 受け取ってくださる

お手紙として。

ここにしたためようと思います。